機関紙 - オリンピックに出て世界の舞台で戦いたい
今年2016年は、ブラジルでのリオデジャネイロオリンピック、パラリンピックの年。4年後は東京での開催が控えています。
宇治市立西小倉中学校で用務員として働きながら、投てき種目のハンマー投げで「いつか五輪出場を叶えたい」と日々練習を重ねる宇治市職労のGさんをたずねました。
ひょんなことから始まった競技人生
Gさんがハンマー投げを始めたのは高校1年の冬。それまでは同じ陸上競技の走り高跳びの選手でしたが、練習中の怪我で練習が出来ない日々が続きました。そんな時、「怪我が治るまでのリハビリ感覚、遊び半分で始めた」というハンマー投げの魅力にのめり込み、高校3年のインターハイでは8位入賞。競技歴は12年目に入りました。
実は陸上競技自体も始めたのは高校から。3歳から水泳、中学ではバスケットボール部に所属。「なぜ陸上に」と聞くと「同じクラスの後ろの席の子が陸上部に入ると言うので、前の席の子も誘って3人で練習を見に行って、その流れで前の席の子が走り高跳びをすると言ったので僕もそれで。ほんとそれだけなんです」と笑います。
まずは日本で一番に
現在は勤務後に母校の京都教育大で学生への指導も兼ねながら1日約4時間の練習をこなします。関西実業団選手権では一昨年、昨年と2連覇を達成。昨年は怪我の影響もあり出場は叶いませんでしたが、アジア大会への代表選考会を兼ねた日本選手権には2012年から3年連続出場。京都学生選手権の大会記録保持者でもあります。「技術面や体力面、どちらも自分自身がどこまで出来るのか、自分の可能な限り試してみたい」との思いがハンマー投げを続ける原動力になっています。
オリンピックへの思いや抱負をたずねると、「のめり込んだ一つのきっかけが2004年のアテネ五輪で室伏広治選手が金メダルを取ったこと。テレビで見ていて純粋に世界に行ってみたい、上をめざしたいとの思いが強くなった」と振り返ります。「2020年の東京五輪が決まって、努力の目標として五輪出場をめざしたい。夢として叶えられるなら、世界の舞台で戦いたい」とGさん。「これから2、3年後が年齢的にも体力的にもピークになるのかなと思う。五輪出場への思いはあるが、まずは日本選手権で一番になりたい」と力強く抱負を語ってくれました。
京都自治労連 第1863号(2016年1月5日発行)より