機関紙 - 京深層水
▼天皇は昨年の新年「満州事変に始まるこの戦争の歴史を十分に学び、今後の日本のあり方を考えていくことが、今、極めて大切なこと」と述べ、4月にはパラオ共和国ペリリュー島に慰霊の訪問旅行。
▼旧日本軍が従来の突撃玉砕戦術から持久戦に転換した戦いで、1万の日本兵と数千の米海兵隊の悲惨な死となった。その後沖縄戦に持久戦は引継がれ膨大な死者を出した。天皇は日本の戦没者の碑と米国の慰霊碑に供花した。夏にはパラオからの引揚げ者が入植した宮城県の北原尾(地名はパラオから)も訪ねている。
▼年末記者会見では「先の戦争のことを十分に知り、考えを深めていくことが日本の将来にとって極めて大切なこと」と言っている。
▼1月はフィリピンに慰霊の旅。マニラ市街戦を含むフィリピン人戦没者を悼む「無名戦士の墓」を訪れたが、日本のマスコミはペリリュー島米軍慰霊碑訪問と同じくほとんど触れずじまい。翌々日の日本の「比島戦没者の碑」だけは大々的に報道。(I)
京都自治労連 第1865号(2016年2月5日発行)より