機関紙 - 消防力の向上 若い消防士の意欲が生き何でも話せる職場へ 「団結権」は必要不可欠
火事、交通事故、急病、災害・・・、生死にかかわる窮地に立ったとき、駆けつけてくれる消防隊員は市民には無くてはならない存在、子どもたちの憧れの職業でもあります。しかし、命がけの仕事にもかかわらず、日本の消防職員には「団結権」が認められていません。ILO87号条約(結社の自由及び団結権保護に関する条約)の批准国で唯一の国です。「団結権」を認めよとの世論と運動や、ILO勧告もあり、「団結権」について大きく動こうとしています。
消防職員協議会を35年前に立上げ、様々な要求を実現させてきた宇治市消防職員協議会の会長の辰巳好司さんを宇治市西消防署に訪ねました。
職場を大きく変えた協議会
少し緊張して西消防署を訪ねると、ガッチリした体格の辰巳さんがニコニコしながら温かく迎えてくれました。
「この写真を見て欲しい」とパソコンの画面を見ると、そこには、昨年2010年に京都で行われた全国救助技術大会の集合写真。この大会で宇治チームは『ほふく救助』の部門で見事優勝。宇治チームはこの間、様々な大会で優勝するなど好成績を収めています。辰巳さんは、「大会でいい成績を上げれば、消防が頑張っていることをアピールでき、みんなの励みになる」と誇らしげです。
辰巳さんに、「どうして宇治はいい成績なのか」と尋ねると「やっぱり、宇治市消防職員協議会があるから」といいます。
辰巳さんによると、以前の消防職場は「封建的で上司の命令には絶対服従の軍隊のようなところだった」といいます。年休ひとつ取得するにも非常な覚悟で上司に申し述べなければならず、机は職員4人に一つしか与えられなかった。賃金や労働条件も市職員と比べると劣悪。「こんな職場は何とかしなければ」と辰巳さんらの先輩である職員が立ち上がり、宇治市職員労働組合の支援もあり1977年10月1日に『宇治市消防職員協議会』が結成されました。
協議会が結成されれば即職場が民主化されるものではありません。辰巳さんが採用されたのが1981年、82年に配属。その当時でも若い者は下。1日5回コーヒーを入れさせられ、それも一人ひとりの好みに応じて出すことが求められたと当時を振り返り、「若い者にあんな苦労をさせるわけには行かない」と辰巳さん。
職場での要求闘争や民主化の取り組みもあり、何もいえない職場から、何でもいえる職場、年休の取得もできる職場へと変わっていきました。
若いもんはやる気がある
「若い消防士は、やる気がある」と辰巳さん。現場で役立つ技術を上げるために休日も練習施設を使えるようにしているそうです。
「消防士に団結権を与えたら、『現場での指揮命令が乱れる』等と意見も出ていると聞くが、とんでもない。今の若い人は優秀。『消防をもっとこうしたい』との意見を持っている。若い人の意欲が生きる組織にするため、隊員の意見を取り入れる姿勢が必要。そのためには、消防職場に団結権は欠かせない」と言葉に力が入ります。
「ありがとう」の声があるから
「消防士になってよかった」と思える時を聞くと、「火災現場から人を助け出したり、患者さんを病院に運んで助かった時。『人の役に立っている』この思いがあるから頑張れる」と辰巳さん。普通のサラリーマンとは違う、日曜日が休みではなく子どもの運動会に行けないこともある。そういうときに代われる人員が必要。消防士が元気をなくし疲れていたのではいい仕事が出来ないといいます。
最後に今年の抱負を聞くと、「今、27人の増員要求をしているが、東消防署に4人の増員、槇島消防分署に救急隊一隊を置きたい。これを実現させたい。協議会の会長も若い者にバトンタッチをしなければ、その土台を作る年にしたい」と語っていただきました。
取材を終えて外に出ると、採用2年目の2人の青年が、救出技術の練習に汗を流していました。競技会では補欠の選手。「火災現場で役立てるよう、一日も早く技術を身につけたい」とキッパリ語る姿に何とも言えない頼もしさを感じました。
日本発の消防活動レースに交流深まる 第1回JFFS大会開かれる
消防職員が一同に介し、消防活動タイムレースを行い職員間の交流や住民アピールなどを目的に、第1回JFFS2010(ジャパン・ファイアー・ファイターズ・スピリッツ・2010)が12月5日愛知県豊橋市で開催され、100人・34チームが参加しました。
企画と運営は、実行委員会形式。チームは3人1組で合計年齢が90歳以上。火災時と同じ服装で空気呼吸器を背負い、ホースを担いで階段を駆け上がり放水、救出も行いタイムを競う日本最初の消防レース。女性3人のチームの参加もあり大いに盛り上がり、様々な地域の消防士との交流が深まりました。
京都自治労連 第1743号(2011年1月5日発行)より