機関紙 - あの人に会いたい1…国の下請け機関ではなく 住民自治、公共性を育てる自治体職員に
京都府立大学文学部教授 小林 啓治さん
こばやし・ひろはる=1960年島根県生まれ。1983年京都府立大学文学部卒業。京都大学大学院文学研究科博士課程修了。現在、京都府立大学文学部歴史学科教授。著書に『総力戦体制の正体』、京丹後市史資料編『史料集 総動員体制と村』『国際秩序の形成と近代日本』『総力戦とデモクラシー』など
*木津村=京都府竹野郡木津村(現京丹後市)
新しいシリーズ『あの人に会いたい』では、様々な分野で活躍されている府民の方を訪ねて、それぞれの課題や自治体・自治体労働者への要望・期待などをお聞きするコーナーです。
第1回目は、京丹後市の京丹後市史資料編『総動員体制と村』の調査・作成に携わり、その後、2016年に『総力戦体制の正体』(柏書房)を執筆された京都府立大学文学部教授の小林啓治さんを府立大学の研究室に尋ね、住民を戦争に総動員した府市町村の歴史から、自治体労働者が教訓として引き継ぐべき点についてお話をお聞きしました。
――木津村の兵事史料の歴史的意味について。
小林 戦前、全国には1万数千の市町村があり、木津村の兵事史料と同じものを全ての市町村で作成していました。焼却命令が出たため、全国で残っているのが片手で数えるほどしかありません。木津村では命令に反して1931年から1946年までの史料が残っており、総動員体制がどのように村に浸透していったかを知るうえで大変貴重なものです。
――『総力戦体制の正体』は新聞でも大きく取り上げられましたが、なぜ独自に執筆されたのですか。
小林 『史料集 総動員体制と村』が2013年に完成し、研究者の仕事はそれで終わりなのですが、木津村の史料を見ていると、現在に当てはまるものがいくつも出てきます。今の情勢を考えた時に、自分の文章で自分が考えていることをまとめるべきだと強く思ったからです。延べ10年の歳月が必要でした。
――侵略戦争に住民を総動員するうえで、府市町村がどのような役割を果たしましたか。
小林 戦前の大日本帝国憲法の下では、地方自治が全くありません。当時の府市町村は、国家の命令によって動かされる軍事機構で、軍事組織をつくるための末端組織でした。これが大きな梃となって、総動員体制をつくったと言えます。
そういう意味で、徴兵制というものは大きいですね。全国の市町村に兵事係を置いて同じ事務作業をやるのですから、戦争に国民を動員するためには最適な組織です。戦前の体制を考えるときに、軍隊・軍部だけで考えたら大間違いで、それを実際に末端で動かしていたのが市町村です。それと忘れてならないのが警察ですね。徴兵逃れを絶対に阻止するために、警察権力と市町村が一体にとなって機能しています。
――戦前の日本と現在がよく似ていると言われます。憲法を蔑ろにする安倍政権の下で、憲法遵守しなければならない自治体や自治体労働者が"忖度"をする事例が後を絶ちません。受け止めるべき教訓について。
小林 当時は軍事的総力戦ですが、現在の政府などが考えているのは、もっと広い意味での総力戦、国家がグローバル競争を勝ち抜くために国民を総動員する総力戦体制システムの構築と言えます。そこには軍事も含まれるが、経済も教育も自治体も含めた国の在り方そのものが大きく変えられようとしています。
これをどう跳ね返すかですが、戦前の府市町村は国の末端組織で、自治もなく、国に抵抗できる論理もありません。戦後は、地方自治を踏まえた行動原理に学ぶべきだと思いますが、なかなかそうはならないと悩んでおられると思います。
難しさの根底に、結局、戦前の「官と中央集権の体質」、近代日本の国家が持っていた原理を、いまだに自治体の現場はもちろん日本社会が乗り越えられていないのではないでしょうか。
70年代、革新自治体が広がる中で、地方自治という概念が根付くチャンスはありましたが、変えきるまではいきませんでした。どうやって乗り越えるか、歴史的な大きな課題になっていると思います。
――自治体労働者に伝えたいこと。
小林 自治体が、国家の下請け機関になり、仕事を請負うことが一番よくない。自治の本来の姿ではありません。総動員体制の一員となってしまいます。
仕事がマニュアル化されていませんか。そうすると、ますます国の下支えの仕事になっているのではないでしょうか。住民自治とか、住民がつくる公共性を育てることが一番大事だと思います。かつて蜷川知事が言っていた「憲法を暮らしに生かそう」は、学ぶべき先駆的例です。そういうスローガンを考えなければならない。短くてわかりやすいスローガンを。
京都自治労連 第1959号(2020年2月5日発行)より