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機関紙 - 平和願う人々の努力の結晶 核兵器禁止条約 今月にいよいよ発効…被爆者 花垣ルミさん(京都原水爆被災者懇談会世話人代表)

平和願う人々の努力の結晶 核兵器禁止条約 今月にいよいよ発効…被爆者 花垣ルミさん(京都原水爆被災者懇談会世話人代表)

カテゴリ : 
組合活動
 2021/1/5 9:10

はながき・るみ=1940年生まれ
5歳の時に広島で被爆
京都原水爆被災者懇談会世話人代表
原水爆禁止京都協議会代表理事


今年は1月22日に、「核兵器禁止条約」が発効する歴史的な年です。京都在住の被爆者として、被爆体験をかたる語り部として核兵器廃絶運動で活躍されている花垣ルミさんに、被爆体験や語り部としての取り組み、核兵器禁止条約への思いなどを伺いました。

体中傷だらけ火の海を避難

私は、1940年3月に大阪で生まれました。父の勤務の関係で横浜へ、そして、44年父の台湾転勤(後に台湾で病死)があり、広島の叔母の家に引っ越しました。母と祖母、叔母、私の女ばかり4人住い。その年の10月に弟が生まれました。

1945年8月6日、朝、空襲警報が鳴って防空壕に避難し、警報解除になって家に帰ろうとしたところまでは、記憶にありましたが、それから2カ月間ほどの記憶は全く無くなっていました。

記憶がよみがえったのは、58年後の63歳になってからでした。生協で、広島の被爆者慰霊祭に参加する企画に参加。京都に帰って、その時の報告書を書いているときに、とぎれとぎれに、次々と記憶がよみがえってきたのです。

当時私は5歳で、爆心地から1.7kmの所に住んでいました。原爆が爆発した瞬間は、地面がふわっと浮いて、衝撃波で私は飛ばされ、窓枠と箪笥の間に挟まれ箪笥の楔(くさび)が頭に刺さりました。その時には気づかず、避難してだいぶたってから刺さっていると教えられました。顔も体中も傷だらけ。顔は、右頬の皮がずるりとめくれ、今でもそこだけは皮が薄くなっています。

母、弟、叔母、祖母も被爆し、けがを負いましたが何とか生きていました。歩けない祖母をリヤカーに乗せて、火の海の中を避難していきました。

避難した竹やぶには、たくさんの人々が逃れてきていました。私の横で横になっていた何処かのおじいさんは、顔は焼けただれズルズルで真っ黒になっていました。近くに養鶏場があって、逃げ出した鶏がそこら中歩き回って、おじいさんの頭をつつくのです。母が、棒きれで「しっ」と追い払うのですがまたやってきます。この光景だけは、記憶から消えることなく残っていました。

母は見ちゃダメと私を抱きしめた

竹やぶにも火が移り、危なくなって非難しました。5歳の目に映ったものは、たくさんの人々が倒れていて、猫や犬、馬や牛は万歳をして死んでいました。

死んだ我が子におっぱいを与えている母親とか、わが子が瓦礫の下にいて逃げるわけにはいかないというお母さん。水道管が破裂して水が吹き出している所では、水を求めた大勢の人が亡くなっていました。

避難場所の山にたどり着き疲れて眠ってしまい目が覚めると、10メートルほど先で、ゴムボートの様にパンパンに膨らんだ人、手足のない人などを木の上に置いて焼いていたのです。強烈な臭いと目の前の光景に衝撃を受けました。母親は、「見ちゃダメ」と私を抱きしめました。その時、記憶を失ったようです。

被爆者として生きる軸

私は、被爆者であることは小さいころから知っていました。顔にやけどの跡が残り、傷をすると血が止まりにくく疲れやすい子どもで、小学校への入学は一年遅れでした。しかし、被爆した時の様子は、記憶をなくし、母も話してくれないので、何も知らないまま大きくなり、"被爆者"と言っても他人事のように思っていました。

私が変わる大きなきっかけとなったのが、京都生協の代表の一人として参加した2005年NPT再検討会議の行動でした。その時の被爆者の涙ながらに訴えている姿を目の当たりにして、私の中に"被爆者として生きる"軸が定まりました。

ニューヨークのある高校で被爆体験を語った時に、B29のエノラ・ゲイの計器を作った技術者を祖父にもつ女子高校生の一人が、私のところに来て「原爆の投下は、戦争を早く終わらせるためと教えられてきた。生き残った人たちがこんな目にあわされていることを誰も教えてくれなかった。私は、どうしたらいいの」と泣き叫ぶのです。"私は、どうしたらいいの"という彼女の姿に、海外で被爆体験を話す意義を実感しました。

2010年のNPT行動では、15回ほどプレゼンスをしました。ニューヨークでのパレードの時に、高校生5人に『おばあちゃんの人形』を演じました。すると、ひとりの高校生が、「僕の学校でもやってよ」というのです。早速校長先生と連絡を取って、急きょ高校で紙芝居を演じたのです。日本では、考えられないことです。

一緒に広げよう批准求める署名

核兵器禁止条約が1月22日に発効します。

原爆で犠牲となった方々や、戦後苦しい思いをされて生きてこられた皆さん、たくさんの皆さんのたたかいが、世界を巻き込んで、世界の運動でこの日を迎えます。

唯一の戦争被爆国である日本政府が、条約の批准をしていないことは本当に許されないことです。自治体から、政府に、首相に批准するよう意見を強く発信してほしい。一人でも多くの被爆者が生きている間に、条約を調印してほしいですね。そのためにも、「核兵器禁止条約の批准を政府に求める署名」をご一緒に広げましょう。


京都自治労連 第1970号(2021年1月5日発行)より

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