機関紙 - 自治労連ボランティアが奮闘中!:〜陸前高田支援センターでの活動〜
毎日30〜100人の自治労連の仲間が全国から陸前高田の支援センターに集まっています。京都自治労連からは、4月22日の開設から5月末まで、宇治市職労が消防協議会を中心に途切れなく派遣、消防職員の活躍ぶりは現地でも評判になりました。その後、京都市職労、向日市職労、南山城村職、府職労も現地に入りました。自治労連支援センターに5月24日〜31日まで近畿ブロックとして派遣された佐藤執行委員の活動報告です。
支援センターの一日
6:00 広報「りくぜんたかだ」臨時号の印刷隊が、宿舎を出発。陸前高田市職労の書記局へ4000部の広報印刷に向かいます。
6:45 7:30に出発する社協のボランティアセンターに配置されたメンバーが、一足早く朝食。
7:00 大広間で生活支援班(ボランティアの中から2〜4人で担当)調理のあたたかいご飯と汁物の朝食をとりながら、一日の流れを確認。このときに、その日から参加の組織、その日に帰る組織からひとことあいさつもあります。
8:30 玄関に集合し、ボランティア出発前の人数・道具・車の配車等確認、現地に向かいます。広報配布隊5コースは、別室にてコースや注意事項を確認したあと陸前高田市内へ出発。
ボランティア現場はどんなところ?
宿泊地近辺のお宅や、ボランティアセンターの要請先などへ入ります。現時点では、ひとつの作業場所を完了するまで、自治労連が責任をもって行います。2日で終了するところから1週間〜2週間かかるところもありますが、自治労連が繋がってお手伝いに入るので、個人の方々も安心していただけるようでいろいろなお話が聞けます。作業のほんの一部を紹介します。 陸前高田下矢作地区は、海からは遠く6、7キロ離れていますが、気仙川の支流を津波が上ってきて、家屋が2メートル近く浸水、あっという間に家財道具も何もかも流されたお宅が数多くあります。
(MSさん宅)
大きな旧家。ガレキ撤去、家財道具の運び出し、蔵の海水排出、食器の洗浄、牛小屋の解体、屋敷周りの汚泥撤去……のお手伝い。宇治消防協・宇治市職労が継続して入ったところです。ご主人は、メンバーが交代する毎に津波の時の状況などを話してくださいました。女性のボランティアの要望もあり、奥さんと一緒に食器洗浄と片付けなどを行いました。中でも、蔵の中の海水排出は、消防のメンバーが最後の一滴までかきだしていたのと、消防が少なくなった宇治隊が牛小屋を解体したのには驚かされました。
(SMさん宅)
おばあちゃんが1人で居住しているお宅。親戚の方々も同じ敷地に住居はあり本家とのこと。家は1メートルほど浸水、家財道具を運び出し、庭のガレキ撤去、床板をはがし、床下の汚泥撤去と消毒を自治労連がお手伝い。いろいろお話をしていると、敷地のはずれに壊れた家屋があり、それがおばあちゃん家のお風呂場だったとのこと。津波で壊れ50メートルほど流されてとまっていました。どうも、それを何とかしたいと気になっている様子。素人のボランティアでできるのかどうか、検討した結果「できる!」と判断、のこぎりや掛合(大きな木のハンマー)、ロープなどを準備し、解体スタート。壁など撤去し本体を軽くした後、ロープをかけて引っ張りますが、ビクともしません。すると救世主、作業を見守っていた親戚の方が、服を着替え、ヘルメットをつけチェーンソーを手に助っ人に。一気に作業はすすみ、木に引っかかっていた柱を切り落としたとたん、ドスンという音ともにお風呂場は地面と並行に。こうなれば屋根に上って作業ができ、あっという間に解体。老若さまざま30人の男手の頼もしさを感じました。
ここのおばあちゃんとても話し好きで、前日の庭整理の時は、30分作業すると、30分休憩してお話、15時の作業終了時には「明日、風呂場壊しに来るからね!」といっているにも関わらず、お礼ができないがと「星影のワルツ」を2番まで歌ってくれたんです。お風呂場解体の日は、台風の余波で雨模様、黙々と作業するメンバーに「きゅう〜けぇ〜(休憩)」て声をかけますが、ひと段落つくまで休みません。とても気を使ってくれたMおばあちゃんでした。
社協ボランティアセンター資材貸出し、交通整理
ボランティアは基本的に、自己完結ではあるのですが、一輪車やのこぎり、シャベルなどの資材を貸だししており、その受付業務は自治労連が責任をもっています。朝夕の資材貸出し、返却以外にもセンター周辺の草刈や一輪車のパンク修理、倉庫の整理など仕事は自ら見つけ円滑にまわる工夫をしていました。
15:00 現地での作業は終了し宿に戻ります。基本的には自由時間です。夕食までの時間、被災地視察に出かける人たちも多くありました。
19:00 リーダー(地方組織or単組代表)会議で諸連絡事項や、次の日の作業確認などを行います。
22:30 消灯。
人手はいくらあっても足らない現地
私たちがお手伝いできているところは、ひとつの点なんだ……とつくづく感じました。同じ陸前高田市内でも、やっと車が往来できるようになったばかりで、それぞれの家屋の片付けはほとんど手が付けられていないとこが海べりにはあります。ボランティアセンターに支援要請がきているところもたくさんあり、常時30人以上が支援に入れている自治労連ができることはまだまだあります。自治労連支援センターの仕事は現地の人々と触れ合えるところばかりではありませんが、みんなで支えあって運営がされています。宿の旅館には、毎日、被災された市内の方々が入浴に来られ、その方たちとの語らいもまた、貴重な経験です。
帰郷するときに、お世話になった地域の方々にあいさつに伺ったところで、「街がきれいになったら、またきてください」といってもらいました。
ひまわりととうもろこしを塩害の田んぼにうえ、復興のシンボルに!という「たねっこまくべぁ」という企画も6月4日、5日に開催され、一歩ずつ前に進もうとされています。
東北は遠いです、そして、日々の業務のやりくりはたいへんですが、一人でも多くの京都自治労連の仲間が現地に入り、自分の目で見、耳で聞きながら支援活動に参加してほしいと切実に思いました。
京都自治労連 第1753号(2011年6月5日発行)より