機関紙 - 自治労連ボランティアが奮闘中!:少しでも力になりたい 〜東日本大震災ボランティアに参加して〜
5月26日から30日にかけて、自治労連青年部が提起した青年ボランティア集中行動に京都自治労連青年部から新田青年部長をはじめ4人の青年が参加、陸前高田市で作業に従事しました。
公務労働者としての誇り感じた:向日市職 J.N
青年部の中で何か支援活動が出来ないかと今回行動をおこしました。盛岡市内の岩手自治労連に立ち寄り、現地の状況や支援について話を聞かせてもらうことが出来ました。自らも被災しながら住民のために寝る暇もなく働いている自治体職員がたくさんいることを聞き、避難所での生活にもかかわらず休みもなく働く姿に「全体の奉仕者」という公務労働者としての誇りを感じました。
震災当日、県内の保育所では子どもたちを無事避難させ、保護者の元へ引き渡したものの引き渡し後に津波にあい亡くなられた方が多くいたそうです。保育者として子どもたちが少しでも早く安心して生活が送れる保育所ができることを願っています。
ボランティア作業は全国から集まった青年で道路や田畑のガレキの撤去や収集をしました。海から7キロも離れた場所から漁業の網や、結婚式の写真や子ども制作帳などが出てきました。ガレキとともに大切なものがたくさん流されたのだと思います。これからも長期的な支援やボランティア作業が必要です。今後もみんなで力を合わせ、様々な形で支援活動を行い、復興が早く訪れることを願います。
見たこと、感じたこと伝え行動したい:向日市職労 C.I
今回ボランティアに参加して、実際に行き、見て、聞かないと分からない、感じられない状況を目の当たりにしました。ガレキの撤去と掃除は一面ガレキだらけの場所でどこから作業を始めればよいのか、どれだけ、どこまでやればよいのか、綺麗になったと思い周りを見てもどこを掃除したのか区別がつかないほどのガレキが津波に流され泥に埋もれており終わりの見えない状況でした。人の力では動かせない大きな物もたくさん流されており、あらためて津波の脅威を感じました。元々この場所はどんな風景だったのか、何があったのか、全く想像できない光景が続き、陸前高田以外の地域では電気がまだ通らず信号のない危険な場所や腐敗臭の酷い地域もありました。
ボランティア期間は3日で、出来たことはほんの少しだけだったかもしれないけど、見てきたこと、感じたことの現実を一人でも多くの人に伝えていくことが大事だし、私たちに出来ることは何なのかを考え行動に移していくことが必要です。一人ひとりの力は小さくても、みんなで力を合わせれば大きくなるし、これからも出来ることを出来る限りやっていきたいです。
京都からも力になれることを:南山城村職 Y.I
現場は2ヶ月が経ったとは思えないくらい、どこから手をつければよいか分からないほどの状況でした。ガレキは道から撤去した状況のままで道路脇に山積み、壊れた車はナンバープレートが付いたままで放置、一階を津波が突き抜けた家屋は未だ解体されていませんでした。
被災者の方々は2ヶ月以上が経っても避難所生活が続き、津波が届いていない平坦な土地が少ないため仮設住宅もグラウンド等では全く足りず、民間から土地を借りて設置しているということも聞きました。また家屋に損傷が少なく、自宅での生活が可能な方も、未だに水道が不通で毎日給水車から水を受け取っているところも多いのが現状です。
ボランティア作業は全国から集まった仲間たちとともに復旧作業に汗を流すことができました。我々が短期間でできたことは本当に微量で、復興の足しにもならなかったかもしれませんが、被災地を自分の目で見てきたことは自然の力の大きさを知るとともに、人々の思いはそれをも勝り、確実に復興に向かって前進していることを感じました。
今後機会を見つけて被災地に足を運び、ボランティア作業など力になりたいと思いますし、遠く離れた京都からも何か出来ることはないか考えたいと思います。
京都自治労連 第1753号(2011年6月5日発行)より