機関紙 - タッちゃんが訪ねる ふるさと再生 第9回:祭りが村の絆をつくる 雨乞い 田山花踊り
南山城村田山地区では、毎年、文化の日の11月3日に、雨乞い田山花踊りが行われ、地域づくりに大きな役割を果たしている。田山地域出身の南山城村職員のほとんどが花踊りに参加し支えている。今回のタッちゃんが訪ねるでは、田山花踊りに南山城村職書記長の徳田直樹さんと奥西秀樹さんを訪ねた。
徳田さん奥西さんによると、花踊りの起源はくわしくわかっていないとのこと。もっとも古い資料として、1773年安永2年の飢饉の年に花踊りが行われた床几や、1774年に書かれた唄本が残されている。大正13年で踊りは一旦途絶えるが、昭和39年に「田山花踊り保存会」が全区を上げて結成され、40数年ぶりに復活し今日に至っているという。
田山花踊りは、旧田山小学校校庭で一曲踊り、諏訪神社までの約300メートルを道中行列し神社の庭で踊りを奉納するのが主な行程だ。踊りは基本的に男が参加するものであったが少子化の影響で近年では女子も参加し、保育園児、小中学生から大人までが参加する。
奥西さんらメンバーの12人の踊り手は、女装して化粧をする。背中には2メートル弱の棒に三段の色紙の房をつけその上に御札と造花を飾る。衣装を着けて立ち上がると3メートルを超え、華やかで美しい。
一方、徳田さんが参加する唄い手は、黒紋付きに白足袋、下駄履き、顔を金箔のマスクでかくした菅笠をかぶる地味だが、威厳のある出立ちだ。
ぎっしり聴衆が取り囲むなか、太鼓の合図でほら貝が鳴り、踊りが始まった。優雅だが力強い踊りで、12人の踊り手の動きが見事なまでにピタッと合う。最後の諏訪神社での奉納踊りは一時間以上続く、相当ハードだ。二人から「太鼓と唄い手が合うと踊りも合う」と聞いていたが見事なもので見入ってしまう。
徳田さんは、「田山に生まれたら花踊りに参加するものと思っている。役場の職員はなおさら」。結婚して精華町に住んでいる奥西さんは、「外へ出ている人も、この日は帰ってきて参加する」「年齢がくれば、後継者の指導へ回る。一生もん」といい、「子どもの世代に引き継いでいきたい」と二人の声が弾む。
踊りの練習は、9月上旬から始まる。毎週2回、様々な世代が集まり、太鼓、ほら貝、唄い手、踊り手が力を合わせて踊りを作り上げていくのだ。地域づくりに必要なつながりが生まれていく。
花踊りの魅力を二人は、「地域になくてはならない“絆”」という。この日も、地域住民を前に、新しく保存会に加わった青年二人が紹介された。初々しく誇らしげな二人に、住民から暖かい大きな拍手が送られる。一人前の男として認められた瞬間でもあるようだ。
二人が語った“絆”という言葉を噛みしめながら、祭の歓声を後にした。
京都自治労連 第1763号(2011年11月5日発行)より