機関紙 - 大山崎町職学童保育部:子ども達にもっと"遊び"を 指導員の専門性確立と待遇改善は急務
大山崎町の学童保育所『でっかいクラブ』の指導員、Sさんはこの3月末で定年退職されます。天王山の麓にある学童保育所を訪ねて、Sさんにお話を伺いました。
大学では理系を学んでいたSさんが、学童保育指導員の道を歩むきっかけとなったのが、学生の時に始めた指導員のアルバイトで、学童保育の魅力に取りつかれて今日まで来ました。
Sさんが働く『でっかいクラブ』は、保護者や地域の人々の運動の中で1984年に誕生。Sさんは設立当初からかかわった指導員です。
子どもの夢をやりたいことを
「子どものやりたいこと、子どもの夢を一緒になって実現してきた38年だった」とSさんは振り返ります。
天王山にいだかれた地の利を生かした、四季折々の取り組みをはじめ、音楽では作詞・作曲して本格的にレコーディング、焼き物づくりでは、かまどまで造るなど本格的です。なかでも忘れられないのが、グラウンドに「基地」を造ったこと。「基地」は、木造の三階建で地下通路まであり、あまりの大きさに町の担当者もびっくりしたそうです。
町と保護者、指導員一緒に
こうした学童運営ができた大きな理由を「子どもたちの夢を真ん中に、町と保護者と指導員、3者が一緒になって力を合わせてきたことが大山崎の学童の良さ」「もし、規制、規制と厳しくされていたら、僕は続けることが出来なかっただろう」とSさんは振り返ります。
情熱をもった仲間が職場を後に
現在、大山崎町の指導員は正規の町職員ではありません。「常勤嘱託職員」として、賃金や退職金も低く抑えられたままで、男性指導員で定年退職を迎えるのはSさんが初めてです。「何人もの情熱をもった男性指導員が、生活が安定しないことを理由に将来の展望が持てず退職していった」とSさん。大山崎町職では指導員の厳しい現状の改善を求めて運動に取り組み、退職金での一定の前進を勝ち取りました。
続けられたのは組合があったから
Sさんは「厳しい中でも続けてこられたのは、労働組合運動で日々の生活の保障を勝ち取ってきたから。しかし、退職金が今のままだと、次の生活への準備をすることもできない」と指摘し、「今後の学童保育の発展にとって、指導員の生活保障と専門性、指導員としての資格が必要」と強調します。いま、Sさんら指導員や大学教授らが集まって学童保育学会を立ち上げ、指導員としての資格を求める研究や運動にも取り組んでいます。
退職するにあたって伝えたいことを尋ねると、「人の気持ちに立てない子供が増えている。子どもたちの遊びの時間がなくなった。自分たちで考えて遊ばないからだ。?子どもをもっと遊ばせろ??子どもを人として育てろ?に尽きる」と言葉に力が入りました。
京都自治労連 第1795号(2013年3月5日発行)より