機関紙 - 夢と希望と笑顔を乗せて ひまわり号がつなぐ地域の絆
城陽市職労:Mさん
みなさん、「ひまわり号」をご存知でしょうか。「一度でいいから列車に乗って旅行がしたい」。障がいを持った少年の夢を叶えるために多くの仲間の力で実現させた貸切列車、それが「ひまわり号」です。1982年に上野・日光間を走って以降、日本全国にひまわり号の運動は広がりました。
現在、城陽駅を起点に「城陽ひまわり号」が走っています。「城陽ひまわり号を走らせる実行委員会」事務局長をつとめるMさんをたずねました。
一つの目的に全員がひとつに
Mさんがひまわり号の運動にかかわり出したのは1994年。「城陽ひまわり号」の前身となる「南山城ひまわり号」第5回目の運行に、組合の先輩に誘われて参加したことがきっかけでした。「一つのことに向かって全員がひとつになって取り組んでいる姿がとても魅力的だった」と、第6回目から実行委員会にも参加し、ひまわり号の魅力にのめり込んでいきます。
「『楽しかった、乗って良かった』と参加者が笑顔を見せてくれる喜びに触れた。列車の中でみんなと歌をうたったり、しおりを見ながら行き先を考えたり、楽しそうに過ごす仲間の姿が嬉しかった」とMさん。
しかし、年々ボランティアを集めることが難しくなり、安全に運行ができないと2009年、20回目の運行を最後に、「南山城ひまわり号」は惜しまれるなか終了しました。
ひまわり号を復活させよう
「南山城ひまわり号」が終了して1年、「『ひまわり号』を復活できないか」との相談がMさんの元に届きます。「あんなに楽しい場所をなくしたらあかん、続けられないか」、話し合いを続けるなかで「城陽ひまわり号」として復活が決まります。「それぞれに復活を望んでいたけれども、言い出せなかった。寂しい思いがあったんでしょうね」。
「みんなでつくるひまわり号の原点に」と会議を重ね、2011年10月、待ちに待った「ひまわり号」復活、第1回目の「城陽ひまわり号」運行の日を迎えます。「みんな復活が嬉しかったんですよ」。そこにはたくさんの笑顔があふれていました。昨年10月には第3回目の運行が行われ、241人が滋賀県長浜市への列車の旅を楽しみました。
みんなの笑顔がエネルギー源
Mさんにとって「ひまわり号」とは。「うーん、趣味ですかね。ライフワークというか、切っても切り離せない存在。みんなの笑顔がエネルギー源だし、『ありがとう』という言葉が元気にさせてくれる。しんどかったことも吹き飛びますよ」と笑います。
「ひまわり号を通じて障がいを持つ仲間、支援する仲間、そして地域や全国の仲間と知り合い、つながることが出来た。人と人が知り合い、つながれる場所、それがひまわり号。障がいがあってもなくても、みんな友達です」。
「ひまわり号の運動は、ひまわり号を走らせなくてもすべての人が笑顔で過ごせる社会をめざしています。少しでもひまわり号を理解する人が増え、そして取り組みに参加してほしい。参加すれば僕がのめり込む理由がわかると思います」。
生き生きとした笑顔と力強さは、これからも仲間と地域の絆をつないでいくでしょう。
京都自治労連 第1815号(2014年1月5日発行)より