機関紙 - 福島県浪江町・馬場町長の講演(要旨) いざという時東電、国、県からも情報なし "生きる権利" が大きく失われた
あの忌まわしい3・11災害に対して、私たち被災者、そして被災地に、心温まる物心両面のご支援に厚くお礼申し上げます。
今、私たち浪江町民2万1000人は46都道府県に避難しています。こんな広域的な避難は考えられません。7671世帯ありましたが、今は1万1000世帯に分かれています。家族が分断され、どんな生活をしているか、想像してください。あの日から3年10か月、今日で1451日目、私は本当に悔しい。
3月12日午前5時44分、10?圏内に避難指示が出ました。原発事故が起きたのです。しかし、SPEEDIにはっきりと出ていた情報は私たちにはいっさい知らされませんでした。原発に何かあれば必ず連絡するという通報連絡協定を、東電と結んでいたにもかかわらず連絡がありませんでした。東電も政府も県も私たちに連絡を寄こさなかったのです。
避難する場所、避難経路など何も準備していなかったわけですから私たちは戸惑いました。道路は一本しかない、近隣自治体の住民も同じ道路で避難してきます。その時の状況はまさに地獄絵でした。普通だと30分のところが3時間半以上かかりました。もし、原発事故が起きた時、舞鶴市ではどうでしょうか。避難経路、道路はありますか。そんなことまで考えられていません。机上の空論です。
町民の帰還意思は「戻らない」50%、「判断がつかない」25%です。しかし、戻りたいと言ってくれる住民のためにも、ふるさとに戻れる環境をつくっていかなければなりません。
原発事故によって私たちは「当たり前の生活」を奪われました。憲法に保障された私たちの生きる権利すべてが失われています。この権利を回復するためにお力添えをいただきながら権利回復、そして復興へと頑張っています。私たちのような状況を二度とつくってはなりません。
京都自治労連 第1841号(2015年2月5日発行)より