機関紙 - 組合活動カテゴリのエントリ
与謝野町職の加入で京都が元気に:京都自治労連
与謝野町職という基礎自治体の単組の加入に、京都全体が勇気づけられ、元気になっている。町職執行部の決意と「みんなで決める」というスタイルを貫いたこと、京都自治労連が自治労連運動を正面から示し、組織拡大オルグの活動もあり、共同・連携した取り組みを継続してきたことが重要な教訓と言える。
?府内全自治体に自治労連の旗を?と、組織拡大にいっそう力を入れ、脱原発と再生可能エネルギーへの転換、地域の繁栄と経済活性化、非正規職員の均等待遇実現と組織化の3つを運動の柱に、賃金権利・労働条件の拡充めざし運動を前進させる決意。
生保不適切誓約書問題を機に職場で論議:宇治市職労
宇治市の生活保護職場で根拠のない不適切な誓約書を提出させていた問題が発生した。職場では業務として連続学習会を行うなど再発防止策をすすめ、分会では新自由主義的な考え方、自己責任論が蔓延する社会情勢の中で、自己研さんだけでなく、人材育成の組織的保障、再発防止に向けた議論と要求書を作成。
職場はこの3年で8・9歳若返り、経験年数も2・8年から1・9年に。住民の命と暮らしを守る、自立を助長することがケースワーカーの任務だ。適正な人員配置や、貧困の捉え方など総合的な研修の充実、人材育成を要求する。
原発に頼らない自立した地域経済の研究へ:舞鶴市職労
舞鶴市は、高浜原発から30?圏内に全市民を、大飯原発から30?圏内に約7割の市民を抱えている。福島原発事故を受け、30?圏内までを避難対象とした防災計画を策定したが、市民の生命と財産を守るには、原発をなくす事こそが真の防災計画だ。
高浜、おおい両町を訪問したが、原発依存の財政が明らかに。原発は地域経済そのものの課題だ。脱原発を叫ぶだけでなく、立地自治体の財政分析を進め、自立できる政策提言に向けて現地調査など取り組みを始めた。両町職員とも交流できれば自治労連運動がさらに意義あるものになる。
京都自治労連 第1783号(2012年9月5日発行)より
宇治市職労清掃分会 Bさんに聞く
8月13日深夜から14日明け方にかけて府南部地域を襲った集中豪雨は、宇治市で死者・行方不明者2人、全壊・半壊31棟、床上・床下浸水2030棟など甚大な被害を与えました。宇治市では現在も、市役所挙げての復興に全力で取り組んでおり、宇治市職労も奮闘しています。
こうした中で、災害・緊急時の対応で、「直営だからこそ、市民の期待に応えられた」と清掃の仕事の迅速さが市民からも感謝されています。清掃分会の笠井剛分会長を訪ねてお話を伺いました。
宇治市で、本格的な収集が始まったのが、災害の翌日15日からです。午前中は通常業務を行い、午後から委託車以外はすべて現地の五ヶ庄西川原地域へ収集に入りました。
現地へ入ると、今まで宇治では経験したことがない災害の惨状や、市民が泥と格闘して後片付けをしている姿に、「何とかしなければ」と気持ちが震えると同時に、長期戦になることを予想したといいます。
家の方に、一軒一軒、捨てるゴミかどうかを確認して回収。「ゴミの三分の一は、泥だった」とBさん。
初日だけで122トン、2日目127トン収集しました。
"ありがとう" に励まされ
初日は、『大変だ!』との気持ちもあり、疲れを感じず達成感がありました。しかし翌日からは、取っても取っても、ごみが出る。いつ終わるのか先が見えない不安が出てきました。
そんな時、大きな力になったのが、困難な中で頑張っている住民からの「ありがとう」の言葉でした。厳しい言葉もあるが、直接話をする中で、「僕らが頼りにされている。役に立っている」ことを実感できたとBさんは言います。
また、若い組合員の頑張りが大きな役割を果たしました。困難な現場へ率先して行き、15〜16日・18日は朝8時30分〜夜8時30分まで(健康を考え、17日は定時で退庁)、日曜も頑張り、週が明けても収集で奮闘しました。そうした若い職員の姿は「?今やらねば??この職場を充実させ、新しい職員に経験を引き継ぎたい”との思いもあるのではないか。今年は新規採用がなかったので、よけい思いがある」とBさんは強調します。
"特別体制を" "土日も" と申し入れ
分会では、04年の台風23号や東日本大震災へもボランティアに参加しました。その時の経験から「災害時のマニュアル作成」を要求してきました。今回も、「特別体制を組んで、できるだけ速やかな収集を。土日も視野に入れた体制を」と申入れました。
Bさんは、「直営だからこそできるのではないか。委託では、このような判断はできないのでは。動ける台数を半分にしていたら、どうなっていたことかと思う」と言います。
素晴らしい仲間
今回、職場の仲間の素晴らしさを改めて感じたBさんは、「いざというときに機敏に動き、みんなが一つになった」「大所帯だが、日ごろからいろいろ話し合っているからこそ」と言います。職場は、25%が嘱託職員、再任用職員。「?市民のために?とみんな頑張ってくれた。こんな仲間をどうして正職員にしないのか」Bさんの声が強くなりました。
まだまだ続く復旧・復興の取り組み。宇治市職員の奮闘が続きます。
京都自治労連 第1783号(2012年9月5日発行)より
第11回目の青年数珠つなぎは、がんちゃんの出身単組である向日市職労から。登場してくれたのは、現在2年目、向日市立第1保育所で1歳児を担任している保育士のCさん。
同じ単組、同じ職種でも、こうして向き合って話をするのは初めて。Cさんの新たな一面を見ることができたと、がんちゃんも満足した青年数珠つなぎです。
心から楽しむ子どもたちの笑顔が大好き : 向日市職労 Cさん
夢かなえた憧れの保育士
「保育士になりたいという夢がずっとあった」と振り返るCさん。保育所時代の担任の先生が好きだったこと、保育所での思い出が楽しかったこと、そうした経験がCさんを保育士へと導きます。「子どもが好き、子どもと遊ぶのが好きなんです」。
「幼稚園も保育園も子どもに携われる。私立も公立も自由な保育、環境で子どもが伸び伸びと遊べる。けれど私自身、向日市の第2保育所で育って、そこでの毎日の生活がとても楽しかった。だから生まれ育った向日市の保育所で働きたい、と思いが強くなった」と話します。
保育士という仕事について、「就職してから背伸びをした時もあるけど、子どもたち一人ひとりと係われる毎日が嬉しい」と話し、「子どもとの関係が作れること、遊びを心から楽しんでくれて笑顔を見せてくれた時は本当に心から嬉しい」と、やりがいを笑顔いっぱいに話すCさん。
毎日をとても楽しく過ごしていることが伝わってきます。
なんでも話しあえる組合は魅力いっぱい
組合には職場の先輩からの声かけで加入。「今ある労働条件や権利は、先輩たちが勝ち取ってきた等、色々な話を聞かせてもらう中で、働き続けていくために組合は必要」と感じたと言います。「なんでも話しあえる組合って良いな」と、職場、職種をこえたつながりが組合にあることも加入を後押ししました。
「組合に入っていなかったら知らなかったことばかり」とCさん。印象に残っているのは、昨年の第3保育所閉園の話です。「市長や当局にどれだけ訴えても、響かなかったことはつらかったし、悔しかった」と言います。一方で、青年部の活動を通じて、他の市町村や、全国の仲間と出会えていることは、つながりや視野を広げる力になっていると話します。
これからの目標や抱負をひとこと。「色々と気付かせてくれる周りの先輩や仲間に助けられています。でも、もっとしっかりしなきゃって。自分自身の?もの?の見方、考え方をつくって、失敗もあるけれど、子どもを大切にすること、伝えたいことを、自分の中でしっかりと持てるようにしていきたい」。
終始笑顔で話してくれた彼女。時折見せたまっすぐ前を向いた力強い眼差しが、これからの彼女の成長と活躍を約束している、その期待感でわくわくしてきました。
京都自治労連 第1783号(2012年9月5日発行)より
賃金・権利に強くなろう 都市職協議会
8月18日、都市職協議会は、年末確定闘争を前に「賃金・権利に強くなろう」と、佐竹卓二近畿ブロック組織拡大援助員を講師に、丸一日みっちりの学習会を開催し、19人が参加しました。参加者は、「佐竹さんの講義はもちろん、用意してくれた資料は、どれも参考になり、賃金・権利に強くなるために身につけていきたい。これからの学習が重要」と決意を新たにしました。
母親・女性は今立ち上がろう
8月25・26日、第58回日本母親大会が新潟で開催され、全国から1万3200人、京都から107人が参加。子育て・原発ゼロ・消費税など多彩に学び、語り合い、人を大切にする社会を築いていこうと熱気に包まれました。「3・11以後…私たちはどう生きるのか」と題したジャーナリストの斎藤貴男さんの記念講演には何度もうなずき、全国の運動の交流では、福島からの訴えや全国の奮闘に感動の涙が溢れました。来年は東京で開催されます。
思いっきり動いて、笑い声あふれた
8月31日、乙訓青年保育士企画「元気の出る会」が、長岡京市産業文化会館で開催され、50人が参加。乙訓地域の保育現場が、民間委託、廃園、給食調理の業務委託など、目まぐるしく変化する中、「自分たちが元気にならないと、子どもたちを元気にできない」と青年保育士が組合をこえて集まって企画。あそびうた作家の小倉げんきさんを講師に、手遊びや体を丸ごと使う遊びなど、げんきさんの歌も交えながら、1時間半たっぷり楽しみました。これを機会に、「乙訓地域も含めてもっと交流しよう」と話し合われています。
京都自治労連 第1783号(2012年9月5日発行)より
原爆投下から67年目を迎えた広島、長崎の夏。核兵器のない世界に向けた2010年NPT再検討会議での合意の実現、核兵器禁止条約の交渉開始へ力をあわせようと、8月4日から6日、原水爆禁止2012年世界大会・広島大会が開催されました。
世界大会には、国内外から開会総会に6800人、閉会総会に7200人、京都自治労連から総勢28人の代表が参加しました。原発ゼロを求める運動と世論が広がる中、「核兵器のない世界」の実現へ、さらなる一歩を踏み出そうとの思いが会場に溢れかえりました。
願いは叶えるもの、そのために行動を
「核兵器のない世界への扉をひらこう」――開会・閉会総会ともに、また世界大会全体を通じて、この思いが、日本、海外両代表、そして大会参加者からの積極的な発言、行動と重なり合いました。その具体的行動として、核兵器禁止条約の実現、また、2015年NPT再検討会議に向け、アピール署名運動など、運動と世論の大きなうねりを起こそうと思いを一つにしました。
両総会では、原爆と原発、核と原子力との問題から、『核と人間は共存できない』ことが世界中に共通認識となっていることが改めて示されました。舞台上には、参加者が次々と登壇し、「被爆体験を広げ、伝えたい」「核兵器をなくすという一点で共同を広げてきた」など、地域ぐるみでの取り組みや、青年学生からの希望あふれる発言が相次ぎました。
子どもたちの未来のために
今大会では、自分たちの未来、子どもたちの未来のために「被爆体験を引き継ごう」「核廃絶・原発ゼロの運動をつくろう」と、青年みずから発信し、行動している姿が目立ちました。核兵器や原発がなぜいけないのか、そのことを自分の言葉で伝え、広げていくことが、さらなる草の根での大きな運動へとつながっていきます。
大会は、「核兵器全面禁止のアピール」署名の運動を、地域ぐるみの取り組みで、大きく発展させること、「放射能に苦しむ人々」をつくらないという願いを一つに原発ゼロをめざす運動との連帯など、「広島からのよびかけ」を参加者全員で確認し、大会を閉じました。核兵器のない世界の実現に向けて、アピール署名をはじめ、地域、職場含めた幅広い運動を進めていきましょう。
参加者の感想
京都市職労:Iさん
原爆投下による広島の被害状況、被ばくにより今も失われている命を知り、核兵器の恐ろしさ実感しました。
福島原発事故の放射能汚染により生活が崩壊してしまった被災地の方々の声、「私たちに幸せになる権利はないのか!」という悲痛な訴えを目の当たりにし、生活の根本を支える「平和」の大切さを強く感じました。
木津川市職労:Fさん
初めて参加しました。これまで映像や文章で被爆者の方の話を知ることはありましたが、被爆者の生の声を聞くのは初めてで、その思いを聞けたことはとても良い経験になりました。
「Ring!Link!Zero」で高校生が「ここに集まっている皆は仲間です。若者の力で世の中を変えていきましょう」との発言が印象的で、私も何か出来ることから始めていかなければと考えさせられました。
京都自治労連 第1782号(2012年8月20日発行)より
府南部を襲った14日の豪雨は、死者1人、行方不明者1人、2千件を超える家屋が浸水した宇治市など深刻な被害を与えました。宇治市では、市職員が状況の把握、消毒、ゴミ収集、支援物資の弁当330食調理するなど、全力で奮闘しています。
京都自治労連は災害ボランティアを緊急募集し、災害後初めての土・日となった18日、19日に支援行動に取り組みました。
2日間で82人参加
急な呼びかけにもかかわらず2日間のボランティア参加は宇治市職労34人を含めて82人。五ヶ庄西川原地区等で被害家屋や駐車場の泥だし作業に当たりました。
泥だし作業を行った床上浸水に遭った家では、家の方はいつ終わるともわからない後片付け作業に疲れ切っていました。床下の泥だしは、困難を極めました。スコップなどの道具を使用できず、もっぱら移植ゴテや十能とバケツを使っての手作業となり、粘土状の泥が道具にへばりつきなかなか作業はすすみません。すぐに汗が吹き出し滝のように流れます。床板をはがせないところでは、真っ暗ななか腹ばいになっての作業を行うなど大奮闘、何とか大方の泥を出し終えることが出来ました。
困った時はお互いさま
与謝野町から駆け付けた府職労連丹後支部のTさんは、「いくらしんどい思いをしても、私たちは家に帰れば当たり前のようにお風呂に入り、清潔な布団で休むこともできる。被災地ではそうはいかない。食事の調理も、ゆっくり休むことも困難。困った時はお互いさまです」と汗を拭きながら語ってくれました。
京都自治労連 第1782号(2012年8月20日発行)より
代償機関の役割放棄
今年の人事院勧告は、国家公務員の賃金減額前の給与と比較し「官民格差が小さい」として月例給・一時金とも改定を見送りました。実際に支給されている減額後の給与では、民間が高いとしながらも「未曽有の国難に対処するため…」と容認、賃下げ法の閣議決定の際に人事院総裁は「極めて遺憾」と表明しましたが、今年の勧告では、違法な削減に意見表明はありませんでした。
非正規の改善にふれず、差別拡大・職場の分断
非正規雇用職員の待遇改善には全く触れず、官製ワーキングプアを放置していることは大きな問題です。官民較差を理由に、56歳以上の昇給抑制や昇任・昇格制度「見直し」を勧告していますが、若年層が民間よりも低いことは無視しています。一昨年から続く高齢層の切り下げは、退職金引き下げとあわせ、高齢層だけでなく、若年層の働きがいをも奪うものです。また、能力成果主義の更なる推進は、団結が必要な公務職場の分断につながります。
労働者全体の賃上げで景気回復を
公務員給与削減は民間に影響、労働者全体の給与削減の悪循環をまねき、景気回復や地域経済・被災地復興にも悪影響を及ぼします。公契約条例や、最低賃金の引き上げなど共同の運動で労働者全体の賃上げをはかる事が大切です。
学習をすすめよう
各単組で、12人勧の問題や情勢の学習をすすめましょう。また、京都公務共闘の学習会などに参加し、学習と運動の交流をすすめましょう。
京都公務共闘12人勧学習会
8月30日(木)18:30〜 ラボール京都4階第8会議室
9月13日(木)18:30〜 サンライフ舞鶴2階・職業講習室
京都自治労連2012年秋期年末闘争討論集会
9月15日(土)10:30〜 コミュニティー嵯峨野
京都自治労連 第1782号(2012年8月20日発行)より
シリーズ“がんちゃんがゆく”も今回で10回目。“青年数珠つなぎ”節目の第10回は、亀岡市立本梅保育所に勤務する、保育士のAさん。3回続けて保育士さんが登場と、保育士・がんちゃんヒキ強し、でしょうか。
現在4年目のAさんは年長の5歳児を担任。同じくがんちゃんも年長を担任しているとあって会話が途切れることなく弾みました。
“ひと”とのふれあいが大好き もっとつながりを広げたい : 亀岡市職 Aさん
話は思わぬ方向に・・・
さて取材開始、と思ったのも束の間。話はいきなりAさんの馴れ初めの話題へ急展開。「どこで出会ったの?」「何歳なの?」等々、同席した亀岡市職書記のYさんが根掘り葉掘り聞き出します。思わぬ展開に苦笑いのAさん。
そろそろ、と思いきや、今度はがんちゃんと中学の同級生の話題に。なかなか本題に移りませんが、二人は同年代、同職種とあって初対面と思えないほど息ぴったり。
“保育士がしたい”
亀岡に来る前は、奈良の民間園で保育士をしていたAさん。夫の転勤があり、亀岡市に住むと同時に、亀岡の保育所に勤めることに。「保育の仕事が好きだから『保育士がしたい』と思っていたので、公立や民間のこだわりはなかった」と言います。「ここは自然がいっぱいで、田舎的なつながりというか、“ひと”のふれあいが素敵。障がいや特別支援の事にとても熱心なので保育の勉強になっています」。
仕事について尋ねると、「今の子どもたちを2歳、3歳と担任して、1年あいて今年また担任することに。“先生、またぁ”って(笑)そんな冗談も言い合える関係になっていますね」と笑います。「しんどいけど楽しい。保護者に感謝された時は嬉しいし、私自身、大人も子どもも関係なく、“ひと”と接するのが好きなんだと思います」と飛びっきりの笑顔で答えます。
しんどい時こそ組合が支えに
「入るのは当たり前」と思っていた組合には、職場の先輩に誘われて加入。今は執行委員として奮闘中です。「長時間勤務の解決など労働条件を改善させたい」と力を込め、「他の自治体の状況を知ることは大事。知らないと自分たちの状況が当たり前と思ってしまう。保育のこと、労働条件のこと、色んな情報を交流しながら広げていければ」と続けます。
「皆が話し合える場を作っていけるように」とAさん。「しんどい時こそ、組合が支えていけるように頑張りたい」。
そんなAさんのリフレッシュ方法は「お風呂」。「亀岡にスーパー銭湯が欲しい(笑)」。
亀岡に来て5年。「奈良から来て、知らない人ばかりだったのが、こうやって知り合いが出来た。こうして話せていること、人とのつながりが出来て、これからも出来ていくのが嬉しいし、楽しみ」と話す彼女の笑顔は、さらに輝きを増していくでしょう。
京都自治労連 第1782号(2012年8月20日発行)より
与謝野町職・野村委員長にインタビュー
与謝野町職員組合(委員長:野村光男氏、組合員数225人)は7月19日、定期総会を開催し、京都自治労連への組織加盟を圧倒的多数の賛成で可決し、8月1日付で京都自治労連へ加盟されました。新しい仲間、与謝野町職員組合の皆さんを心から歓迎します。『京都自治労連』編集部が、野村委員長にお話を伺いましたので紹介します。
職場を守るため、上部団体が必要
―なぜ上部組織が必要と思われたのですか。
平成18年3月1日、加悦町と野田川町、岩滝町が合併して、与謝野町が誕生しました。旧3町ではそれぞれ職員組合はありましたが、上部団体については、京都自治労連に入っているところや自治労に入っていたが脱退したところ、全くどこにも入っていなかったところとバラバラでした。
労働組合をどのように統一するかについて話し合いを持ちましたが、?全員が加入する労働組合?の建設を優先し、その時点では上部団体には加盟しませんでした。
合併して6年たって組合はだんだん活発になってきています。しかし、情報が全くなく、町当局との交渉においても何が正しいのか、何が起こっているのか全くわからない状況です。
世の中は、公務員バッシングがますます強まっています。今後、何かあった時に?このままでは、太刀打ちできない??事が起こってからでは遅い?というのが私たちの気持ちです。
回りに自治労連のなかまがいる
―どうして自治労連を選択されたのですか。
この問題を議論した時、旧加悦町出身の役員から「自治労連の良さ」の話が色々出されました。また、回りの他の自治体の労働組合が自治労連で、非常に心強く感じました。
私は、野田川町職時代に書記長をした経験があります。その時は、自治労に加盟していました。しかし、加盟している価値が見いだせず、議論の結果、野田川町職は自治労を脱退した経過がありました。
全四役が?もう一期?を決意
―今回の提案をするにあたって、四役全員がもう一期役員をする決意をされて役員選挙に立候補されたと聞いていますが・・・
ちょうど、時期が役員選挙と自治労連加盟が重なりました。四役で議論した時に、「こんな大きな問題を提案しておいて、?任期が終わったから次の役員にお願い?では、組合員のみんなに、今回の提案の重要な意味やわれわれの決意が伝わらない」「現役員が責任を持つためにも、もう一期役員に留まり頑張ろう」との決意を固めあいました。
このときは委員長として嬉しかったですね。
"みんなで決め、みんなで行動" を大切に
―今回の提案について全組合員論議を重視されたと聞きましたが・・・
私たちが重視したのは、全組合員に理解してもらい、組合員みんなで自治労連に加盟することです。そのためには、定期総会で突然提案するのではなく、全職場・分会集会で今回の方針提案を議論し、様々な疑問点や意見、声を集めることでした。そして、出された質問に答える全体の学習・集会を6月21日に開催し、約100人が参加してくれました。
集会には、京都自治労連の役員にも来てもらい、寄せられた疑問点や意見について答えるとともに、再度、京都自治労連への加盟の意義について訴えました。こうした結果、定期大会では、圧倒的多数の賛成で採択されました。
今後も「みんなで決め、みんなで行動する」組合を大切にしたいと思います。
学習会でスキルアップ
―今後取り組みたいことについて
学習会を通じて、組合員のスキルアップを図りたい。「組合とは何か・・・」から含めてぜひ、京都自治労連のみなさんにお世話になりたいと思います。
―こちらこそ、よろしくお願いします。お忙しいところありがとうございました。
与謝野町のプロフィール
2006年(平成18年)3月1日、加悦町・岩滝町・野田川町が合併し誕生した「与謝野町(よさのちょう)」は、京都府北部、日本海に面した丹後半島の尾根を背景とし、南は福知山市、東は宮津市、西は兵庫県豊岡市などに接しています。大江山連峰をはじめとする山並みに抱かれ、野田川流域には肥沃な平野が広がり、天橋立を望む阿蘇海へと続く美しい地域です。人口約25,000人。
京都自治労連 第1781号(2012年8月5日発行)より
たくさんの単組から歓迎の声が寄せられていますが、同じ町職の京丹波町職と精華町職の委員長からの歓迎メッセージを紹介します。
同じ自治体職員として、共に奮闘しましょう
京丹波町職員組合 執行委員長:藤井 雅文
多くの困難を乗り越え、与謝野町職員組合のみなさんの自治労連加盟決定に心から歓迎いたします。同じ自治体職員として、数々の課題のある中で、職員一致団結して課題克服に向け、共に奮闘しましょう。
北と南、離れていても心は一つ
精華町職員組合 執行委員長:井久保 悟
京都自治労連加盟を心から歓迎します。北と南、遠く離れていますが、心は一つです。町村職運動発展のために、ともに交流しあって奮闘しましょう!
京都自治労連 第1781号(2012年8月5日発行)より