機関紙 - コロナ禍「公共」の役割に確信
第64回自治体学校が7月23日〜25日に長野県松本市で開催され、京都自治労連から14人が参加しました。コロナ禍で、「公共」の役割が改めて問われるなか、参加者は、自らの仕事を見つめ直す機会となりました。二人の参加者に、感想文を寄せていただきました。
宇治市職労:Bさん
自治体学校では、「自治体民営化のゆくえ」と題した分科会に参加し、講義を受けました。
PFIや指定管理者制度での民営化が全国的にも進められていますが、成功といえる事例は無いに等しく、その末路は暗いものであるという事を知りました。
民営化するとなると、利益を出すことが必要になり、そのために圧縮される経費は人件費がほとんどのため、人員削減を起因とした重大な事故の発生や、労働者の低賃金へとつながります。
また、窓口業務の民間委託を導入した自治体では住民サービスの低下や、委託費の上昇がおきているとのことでした。
目の前のコストカットを求めての民間委託が、結果的に労働者・市民にとって大きな損失となることが理解できました。
職員や市民が一体となって行動した他自治体の事例の報告なども聴く中で、まずはそれぞれが自分が働く自治体、暮らす自治体のことに関心を持っていくことが大切なのだろうと思いました。
舞鶴市職労:Cさん
私が参加した分科会「コロナ禍で求められる社会保障の役割と課題」の中で特に、印象に残ったものは、豊中市社会福祉協議会の勝部麗子氏の「コロナ禍によるコロナ貧困に陥った人は、コロナが収まれば一定の収入が見込まれ、仕事さえあれば働ける人たちであり、身ぐるみはがす今の生活保護制度になじまない」という指摘です。「生命保険を解約しなさい」「住宅を手放しなさい」などということを、コロナ禍という「個人では如何ともしがたい要因」により困窮した人に対して求めることは、酷なことであると思います。
真に困窮している人を支援できる制度設計を国に求めていく必要がありますし、それまでの間は、今ある制度をフル活用して支援して行かねばなりません。
私自身の業務が、生活困窮者と接する機会が多い業務であることから、その決意を新たにすることができた分科会となりました。
京都自治労連 第1989号(2022年8月5日発行)より