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機関紙 - 戦後・被爆80年 平和の灯をともして…私たちの願いは核兵器廃絶

戦後・被爆80年 平和の灯をともして…私たちの願いは核兵器廃絶

カテゴリ : 
組合活動
 2025/1/5 8:20

昨年10月に「日本被団協(日本原水爆被害者団体協議会)がノーベル平和賞を受賞」とのニュースが世界中を駆け巡りました。被爆の実相を伝え続け、核兵器のない世界をめざしてきた功績が評価されました。

2025年は戦後80年、広島と長崎に原爆が投下されて80回目の夏を迎えます。

今回、5歳のとき広島で被爆して以降、被爆者として生き、核廃絶や被爆者運動にかかわってこられた京都原水爆被災者懇談会世話人の花垣ルミさんにお話を伺いました。

みんなの顔が浮かんだ平和賞受賞

「日本被団協がノーベル平和賞受賞を知ったのは記者からの電話でした。本当にびっくりで、『うそでしょ?本当に?』と自然と涙があふれてきました。多くの方々から良かったねと連絡もいただきました」と振り返ります。

ノーベル平和委員会は今回の授賞理由について、「核兵器のない世界を実現するための努力と核兵器が二度と使用されてはならないことを証言によって示してきた」と説明。花垣さんは「核廃絶を願う被爆者の声と唯一の戦争被爆国の日本から世界に発信し続けてきた被団協の運動は大きかった」とした上で、「被団協だけではなく、これまで核廃絶を求める運動に一緒に取り組んできた方々、支えてきてくれた方々の力も大きかったと思います。受賞を聞いたとき、みんなの顔が浮かびました。『ありがとう』の言葉しかありません」と涙ぐむ場面も。

被爆者として生きる意味

自分が被爆者であることはわかっていたものの、当時の記憶が断片的でしかなく、被爆者と言ってもどこか他人事のような感じだったと振り返る花垣さん。被爆後2ヶ月間の出来事は今も思い出せないことが多く、その記憶をどうやって取り戻すのか、"自分探し"の葛藤は今も続いていると言います。

そんな自分を"被爆者として生きる"ことに導いてくれたのは、辛い悲惨な被爆体験を泣きながら語り、核兵器を必ず無くさないといけないと訴え続ける被爆者の方々の姿でした。「被爆者である私にしかできないことがある。話すのは辛いけれど、私が伝えていく意味がある」と被爆体験の語り部の活動を行うようになったのは被爆から58年後のことでした。

日本は核兵器禁止条約に参加を

2017年に核兵器禁止条約が国連で採択され、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞した際、核廃絶へのステップになることを期待したと言いますが、日本政府は条約参加に背を向け続けています。

花垣さんは言います。「受賞は喜び合いたいですが、これから私たちがどう動いていくかが大切です。戦後・被爆80年の今回を逃すと次は無いのではと思います。ノーベル平和賞受賞によって前に進める手掛かりはできました。被爆国である日本がリーダーシップを発揮することで世界各国との対話も進んでいくのではないでしょうか。私たちは署名運動を力にして、日本の核兵器禁止条約への参加・批准を求めていきたい」。


京都自治労連 第2018号(2025年1月5日発行)より

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