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映画『看護覚え書』上映
宮城県の看護師・松田さんの報告に涙

 5月14日、看護週間に「看護師の大幅増員」を求めるナースウェーブの取組みが全国で行われ、京都では京都自治労連の参加者含め100人が参加しました。

 集会では、映画化されたナイチンゲールの『看護覚え書』を鑑賞。「看護の素晴らしさを再確認し涙が出た」「看護って素晴らしい」「異常な人手不足で、本来の看護の力を活かしきれていない」など感動が広がりました。

 また、宮城県医労連副委員長の松田すい子さんが、「目の前で患者さんが流されていった」ことや亡くなった組合員、家族の行方が分からない中でも頑張っている看護師の話を涙ながらに紹介し、地域医療再生へ労働組合の役割を強調しました。

 集会後、四条河原町までパレード。その後「看護師増やせ」「被災地復興支援」の宣伝・署名行動を行いました。


京都自治労連 第1752号(2011年5月20日発行)より

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やり残した事がある また行きたい
南丹市職員組合 Aさん

 「なにか力になりたい」との思いから、京都災害ボランティア支援センターに申し込み、4月29日〜5月2日まで、宮城県東松島市大曲地区でボランティア活動に参加してきました。

“何か力になりたい”との思いから

 私は、3月30日から4月5日まで、岩手県陸前高田市へ給水派遣隊の一員として参加しました。災害直後に現地入りした消防士の弟から現地の様子を聞き“なにか力になりたい”と思っていたところ、職場で話があり、「ぜひ行かせてください」と手を挙げました。そのときの主な仕事は、給水車を使っての避難所となっている学校の受水槽への補給でした。仕事に戻ってからも、また行きたいと思っていたのですが、仕事の関係で時間が取れず、ゴールデンウイークでの参加となりました。

被災者の方の言葉が忘れられない

 被災地での主な活動は、被災家屋を一軒一軒訪ねていき、要望を聞きながら家屋の泥出し。私たちの班は、19人で、9軒の泥だしや瓦礫の撤去を行いました。塀の脇に積もった泥を撤去したあと、「きれいになりました。ここの部分だけが3月10日に戻りました」と住民の方が静かに話されたことがとても印象に残りました。

 地元自治体職員の方との直接の対話はありませんでしたが、現地で作業しながら、もし、自分たちの町でこのような災害が起これば、住民のいのちを守り、復旧活動をすすめる使命が我々市職員にあるんだと色々考えさせられました。

若いみなさんに参加してほしい

 今回のメンバーは、初めて顔をあわせた人たちでしたが、「なにか力になりたい」とみんな思っての参加でした。受入れ態勢や交通手段が整えば、もっとたくさんの方が参加すると思います。京都自治労連でどこかと協力してバスを出す事は出来ないでしょうか。

 今回、やり残した事がいろいろあるように思います。今度は自治労連のボランティアとして夏にぜひ参加したいです。私は、昨年の青年部長ですが、ぜひ、若いみなさんに参加してほしいと思います。


京都自治労連 第1752号(2011年5月20日発行)より

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 宇治市消防職員協議会の仲間が、大震災被災地へボランティア隊を連続して派遣。参加者は延べ100人を超え、テキパキとした仕事振りは被災地のみなさんに大変喜ばれています。宇治市の西消防署を訪ねてお話を伺いました。

 消防としての被災地生存者捜索・救出業務の区切りとなった4月2日、消防職員協議会では、辰巳会長の「仕事ではもう行かない、何が出来るか」との問いかけに、“現地へ行こう、何もしないよりはましや”との声が上がり、協議会としてボランティア活動に取り組むことになりました。

 自治労連の現地受け入れ態勢が確立するのを待って、4月21日からボランティアをスタート。

 移動は、たまたま3月に購入した協議会所有の15人乗り自動車が活躍。運転手3人、作業員7人の10人が車に乗って宇治を早朝の5時に出発。夜に陸前高田市に到着。翌日から2日間作業し、次のボランティアを乗せてきた車に乗り込んで宇治には午前6時に到着。というもので、12陣まで出す計画、走行距離は「3万キロを越える」といいます。

 現地での仕事は、主に家屋や田畑・側溝などのガレキ撤去や泥出しが中心。第3陣で参加した上田さんは、「現地ではお年寄りが多く、なんでも自分たちでしなければという人柄、はじめは中々打ち解けなかったが、徐々に信頼関係ができていった」といいます。

 第4陣で参加の本西さんは、「見ず知らずの私に、お年寄りが、アルバムや着物などを見ながらその時々の思い出話をしてくれた。最後に『必ず復興するので、きれいになったらまた来てくれ』と声をかけられました。

 ボランティアとしての心構えを聞くと、第一陣で参加した梅木さんと横さんは、「現地の被災者の気持ちに立って行動する事が必要。家が残った人はまだましで、何もかも無くした人のボランティアへの思いは複雑」と重みのある言葉が返って来ました。


京都自治労連 第1752号(2011年5月20日発行)より

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 晴天に恵まれた5月14日、青年部は恒例の新採歓迎交流企画「スプリングフェスタ」を京丹波町のグリーンランドみずほで開催。14単組57人が参加し、笑顔いっぱい楽しい週末となりました。

見渡すかぎり笑顔、笑顔、笑顔♪

 新田青年部長の主催者挨拶に続き、来賓の山村委員長、地元を代表して京丹波町職の秋山青年部長が挨拶しました。その後パワーポイントを使って組合説明学習と青年部活動紹介を行い、東日本大震災への救援活動として、行政支援やボランティア支援に参加した青年からの報告も行われました。

 ズンドコ体操で始まったソフトバレー大会は13チームが熱戦を繰り広げ、宇治チームが見事2連覇を達成。夕食交流会はバーベキューを楽しみながら、ビンゴゲームでは面白質問や景品に各単組の特産品を持ち寄るなど、参加者に楽しんでもらう工夫があちらこちらに。

 昨年に続いて初参加単組があったことも特徴です。団結と交流を深めた1日、青年のつながりの輪が日に日に大きく広がっています。


京都自治労連 第1752号(2011年5月20日発行)より

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東日本大震災への支援・復興へ
自治体労働者の知恵と力を発揮しよう

 サンデーメーデーとなった5月1日、第82回全京都統一メーデー大会などが府内12会場で開催され、12000人以上の労働者や家族が参加しました。

 東日本大震災から2ヶ月、救援物資やボランティア参加など被災地支援の輪が広がっています。行政の枠をこえて奮闘する自治体労働者の姿もみえます。

 デモ行進では、「貧困と格差の解消」「被災地支援に全力をあげよう」「生活できる賃金を」など、声高らかに要求を掲げ、アピールしました。

 各単組では、プラカードやデコレーションなどで賑やかに楽しく取り組まれ、新規採用職員の初々しい姿や家族と参加する組合員の姿も目立ち、春らしい爽やかなメーデーとなりました。


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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 64回目の憲法記念日を迎えた5月3日、「生かそう憲法守ろう9条5・3憲法集会in京都」が京都会館第一ホールで行われ、2400人が集まりました。

集会では憲法9条京都の会代表世話人で哲学者・梅原猛氏と安斎科学・平和事務所の安斎育郎所長が九条への思いや日本の平和と安全などについて講演。

集会後は憲法ウォークで市民にアピールしました。府内各地域でも取り組まれました。


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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京丹後市職労の新採職員歓迎会
みんな笑顔が光っています

 新規採用のフレッシュな仲間たちが職場に配属され早くも1ヶ月が経ちました。各単組では、新採職員歓迎会や学習会などの取り組みも始まり、「組合に加入しよう」と呼びかけも引き続いて取り組まれています。

 前号でも紹介した福知山市職での経験で語られた「ひとつひとつ丁寧な積み重ね」が京丹後市職労でも花開いています。

 5月2日時点で新規採用職員のうち7割が市職労に加入、「まだまだ増える勢いです」と嬉しいニュースが届きました。今年は歓迎会をノー残業デーに設定、1人でも多くが参加できるように工夫しました。その狙い通り、歓迎会には新採30人を含む70人を超える市職労の仲間が集まりました。「『これだけ多くの組合の仲間に歓迎されている』という安心感が新採職員にも伝わったのでは」と金子書記長。

 職場配属後は定期的に新採職員の職場を訪問、一人ひとりにきっちりと声をかけ組合への加入を呼びかけました。こうした丁寧な積み重ねが加入拡大につながり、「組合員が増えると職場も組合員もとても元気になっています。もちろん僕も」と金子書記長は笑顔を見せ、「これを機に2、3年目の未加入者にも声かけを広げていきたい」と決意も語ってくれました。

 嬉しいニュースは京丹後市職労だけではありません。京丹波町職や南丹市職からも「新しい仲間を組合に迎えたよ」と嬉しいニュースが届いています。どの単組もきっちりと新採職員と向き合って組合加入を訴えていることが成果につながっています。

 引き続いて組合員自らが「組合に入ってほしい」と積極的に声をかけ、新しい仲間を労働組合へ迎えましょう。


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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美しい久美浜を守りたい!

カテゴリ : 
組合活動
 2011/5/15 11:20

〜31年間たたかいつづけてよかった・久美浜原発反対闘争を振り返って〜

元久美浜町職委員長
今西英雄さん
 1948年に15歳で久美浜町に就職。55年、町職結成に参加。74年、町職委員長に就任。75年管理職に就く。1988年税務課長で退職56歳。原発反対闘争や地域の住民運動等に参加。

 東日本大震災に伴う東京電力の福島第一原発事故は、いまだに収束のめどがつかないばかりか事態はますます深刻となっています。府民の中で、「久美浜原発計画ストップは先見の明があった」との声が広がっています。31年間にも及んだ、久美浜原発反対闘争の歴史的意義はますます輝いています。その運動で奮闘されてきた、元久美浜町職員の今西英雄さん(元久美浜町職委員長)にお話を伺いました。

一気に広がった原発反対の声

 1975年6月、「久美浜町に原発」との報道に、建設予定地とされた蒲井地区をはじめ久美浜町に大きな衝撃が走り、蒲井地区中心に住民運動が瞬く間に広がった。建設予定地域での「原発建設反対・事前環境調査返上」決議や、湊漁協・京都府漁連や丹後の6つの漁協、観光協会などで次々と反対決議が上り、地域挙げて権力と対決する姿は、「百姓一揆を連想させた」と今西さんは当時を振り返ります。

労働組合と住民の団結が大きな力

 同年、熊野地労協を中心に久美浜町職や政党など町内24団体で「久美浜原発反対連絡会」が結成されました。「原発設置反対、調査返上」の署名運動では、わずか2週間で久美浜町内有権者の7割に及ぶ7151人あつめました。また、76年7月開かれた「久美浜原発反対京都府民集会」には、3500人の府民が参加。地域の人々と労働者が団結すれば大きな力になると実感したと今西さんは言います。

関電・当局による懐柔策

 しかし一方で、「久美浜若返り会」や「久美浜をよくする会」が結成され、「原発誘致の要望書」を提出。町議会は76年の10月議会で7000人を超える反対請願を否決し「原発受入れ」決議を強行する暴挙を行ったのです。

 関西電力と行政の動きも激しさを増し、戸別訪問や町の「原発学習会」「原発見学会」に関電が積極的に協力し、高橋英樹、里見浩太朗といった映画俳優も参加。イベントには、漫才師の「阪神・巨人」や歌手の五木ひろしなどが登場。

 また、関電からの寄付や、「初期対策交付金」として国から町に、81年から2003年で4億733万円が交付。この金を使って学習会や視察旅行と言う名の親睦旅行が数多く行われ、「タイ国電力視察」は国会でも問題になりました。

 こうした中で、1984年「地質調査」が開始されました。

歴史的たたかいの町長選挙

 この31年の間には、原発問題が争点となった町長選挙や町議会選挙が激しくたたかわれました。三つ巴となった1997年の町長選挙で、敗れはしたものの岡下候補が42%の得票を獲得、原発反対候補2名合わせると当選した候補を大きく上回る結果となり、また、2001年の町長選挙では、堤候補は47・6%の得票を取り、わずか470票差で惜敗。原発問題は極めて接近した状態を続け、「これにより建設強行は出来なかったのではないか」と「会」の代表をつとめた今西さんは当時を振り返ります。

 2004年、6町合併で京丹後市が誕生。初の市長選挙で「会」の候補者は勝利できませんでしたが、当選した中山市長は、「京丹後市に原発はなじまない」と述べ、粘り強い住民運動と住民の意志を反映して、京丹後市は2006年、関西電力に「事前環境調査撤回の申入れ」を行い、31年に及ぶたたかいに幕が下ろされました。

?女性よ風になれ?を合言葉に

 今西さんは、たたかいを振り返って、「学習を重視した事が大きな力」「特に女性たちのたたかいは、素晴らしかった」といいます。

 女性の自主的な「婦人学習会」が、1987年から12年間、月1〜2回のペースで開かれ、2時間の学習会に毎回10数人が参加。講師は今西さんが行いました。

 当時中心的役割を担っていた小国和子さん(故人:元久美浜母親連絡会代表)は、「確信を深めた学習会参加メンバーが、多くの女性と力を合わせ、長期間のたたかいの芯張り棒の役割を果たした」と述べています。『女性アピール』に取り組んだ町長選挙では「女性よ風になれ」を合言葉に97年には250人、2001年には261人の結集ができ、女性の実名入りのビラをそれぞれ発行。一人ひとりの対話のなかで、様々なドラマが生まれました。このたたかいの力が、原発建設を強行させなかった草の根の力になった。一緒にたたかえたことを誇りに思うと今西さん。

 今西さんは、「原発反対闘争の経験を引き継いで、ふるさとを守る取り組みに生かしてほしい。80歳になったが、私もまだまだ頑張る」と自治体労働者を激励します。


 今西さんは、78年企画課長の時に町長から、『久美浜町総合計画』策定を指示され、「全職員参加」「全住民参加」「専門家の指導」を三本柱として、当時、府立大学助教授の広原盛明氏に委託し、95%の世帯が協力した住民アンケートなど文字通り、全住民・全職員参加の原発に依拠しない『総合計画』策定を約3年かけて行った。議会では全会一致で可決された。機会があれば、紹介したい。


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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ファミリー魚つり大会

日時 6月12日(日)
会場 朽木渓流魚センター
小雨決行・強雨中止

10:00 受付開始
14:00 終了

・つりの後、つかみどり大会(対象は子ども)
・つかみどり・魚はすべて持ち帰り出来ます

〔申し込み〕6月3日(金)〆切

参加費
大人(中学生以上):2000円
小学生:1000円
小学生未満:無料

お問い合せ 075−801−8186(京都自治労連)


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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近畿ブロックからの派遣要員として参加して

京都自治労連副委員長 川俣勝義

 自治労連が陸前高田市に設置する「被災地支援センター」の立ち上げと自治労連ボランティアの受け入れのために、近畿ブロックからの派遣役員として、4月18日から26日にかけて現地での活動に参加してきた。

 現地を訪れると、多くの人たちが「言葉を失う」と言うとおり想像を絶する惨状で、市の中心部は壊滅し、見渡す限りのガレキの山となっていた。

 全世帯の7割に被害が及び、1400人以上の方が亡くなり1300人以上の方が行方不明で、市役所の職員も68人が死亡・行方不明だという。震災から1月以上も経つのに市の人口の3分の2にあたる1万5千人もの人が避難所生活を余儀なくされ、仮設住宅の建設も思うように進んでいなかった。

懸命に頑張る自治体の仲間

 仮設の市臨時庁舎のプレハブ小屋では、市の職員の方々も家族を亡くしたり大きく被災しながら、それでも懸命に被災者への対応やライフラインの復旧のために頑張っている姿が胸を打った。

 現地でのボランティアの仕事は、個人宅や小規模な施設などのガレキ撤去や泥出し、そうじ、支援物資の仕分けや配布などが主な業務だったが、自治労連ボランティアの組織立った作業ぶりは大いに評価され、特に屋外作業では宇治消防の働きぶりは注目を集め、「あんだだちが来てけだから、おらだちもがんばれる」と現地の人たちから感謝された。今後、こうした支援と、市の広報紙配布や在宅の被災者のニーズ把握の仕事など行政補助的な支援も自治労連に期待されている。

 被災者の生活再建と復興は大きく立ち遅れている。継続的・長期的な支援が求められており、引き続き組合員のみなさんのご協力をお願いしたい。


京都自治労連 第1751号(2011年5月5日発行)より

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