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年が明け、各単組では、元気に「旗びらき」が開催されています。
宇治市職労では、70人が集まって盛大に開催。小野委員長は、18年度の国の予算案が社会保障予算の削減、防衛費が大幅増額されていることに触れ「憲法に照らし合わせても国民生活実態から乖離している」とし、「私たちの役割を再確認しよう」と挨拶。テーブル対抗のクイズやゲームで大いに盛り上がり交流を深めました。
向日市職労では30人が参加。岩谷委員長は「多くの仲間にアプローチして、仲間を増やしていこう」と挨拶。子ども連れの参加あり、ゼスチャーゲームなど歓声があがる旗びらきとなりました。
精華町職では、90人が参加。参加者の7割が青年で、若々しい旗びらきとなりました。ビンゴゲームで楽しく盛り上がり、18春闘に足早く取り組む意思統一。最後は、今年度末で退職される組合員による「激励の団結ガンバロー」で決意を固め合いました。
京都自治労連 第1912号(2018年1月20日発行)より
安倍政権が、2018年度予算で生活保護費の大幅引き下げを行おうとしています。ナショナルミニマムとしての生活保護費引き下げが社会にどのような影響があるのか、自治体と自治体労働者の役割などについて、生活保護の問題に取り組んでこられた尾藤廣喜弁護士にお話を伺いました。
これ以上削るところがない
新聞でも大きく報道されましたが、厚生労働省は、昨年12月、当初最大13・7%の生活扶助の引き下げ方針を示しました。しかし、関係審議会の生活保護基準部会の否定的な意見や、反対世論もあり、引き下げ幅を3年間で最大5%にする内容に変更。12月22日、内閣はこの案を含む予算案を閣議決定しました。
今回の引き下げは、史上最大と言われた2013年から3年間にわたる平均6・5%、最大10%の引き下げに続くもので、相次ぐ引き下げに生活保護制度利用者からは「これ以上どこを削れというのか」「灯油も買えない」などの声が上がっています。
中でも、母子家庭(子ども一人)について月額5000円や児童扶養加算(3歳未満児童)月5000円の減額は、子供の貧困対策を掲げた安倍政権の方針に真っ向から反した政策で、生活は大打撃です。
最低賃金にも影響
厚生労働省は、所得を10段階に分け、一番低い低所得層の消費水準と比較して生活扶助基準が高ければ引き下げる論理を採用しています。日本では、生活保護バッシングなどの影響で、生活保護基準を下回る収入しかない人で生活保護を利用している割合(捕捉率)は、15%から18%と言われています。そんな状態で、このような手法をとれば負のスパイラルになり、保護基準はどんどん下がっていくことになります。
生活扶助基準は、生活保護を利用している人だけの問題ではありません。生活保護が下がれば、最低賃金にも影響し、基礎年金、住民税の非課税限度額、就学援助額とも連動しており、このあり方は、まさに国民的な問題なのです。軍事費を増やして、生活保護基準を引き下げるやり方には納得できません。
先進国ではありえない日本の生活保護行政
日本の生活保護制度の大きな問題点は、収入が少なく制度を利用できる資格がありながら生活保護を利用している世帯が15〜18%に過ぎないことです。フランス91・6%、スウェーデン82%、ドイツ64・6%などとなっており、先進諸外国と比較しても際立って低い数字です。お隣の韓国では、「生活保護」という名称を「国民基礎生活保障法」に変え、制度利用者を増やすために、困っている人に自治体職員が出向いて説得して受けさせています。
申請を受けつけない水際作戦、「働ける」と追い返す、母子家庭には「実家に帰れ」などの対応は、絶対にやってはいけないことです。
人員要求は市民の要求
昨年、小田原市のジャンバー問題が大きな社会問題となりましたが、現状では、この国のどこでも起こりえる問題だと思います。また充実した行政をしようとしても、圧倒的に生活保護担当職員の数が足りません。職員を増やし、しっかりした生活支援ができる体制の確立が必要です。人員要求は、市民の要求でもあるのです。労働組合は、もっと主張すべきです。
職員には、しっかり学んでほしい。アルコール依存症の方に「酒やめないと、保護止めるぞ」と言っても解決できません。科学的で、正しいケースワークを追求してほしい。
職場のモチベーションを上げる職場運営も必要です。仕事をする中で、うまくいったケース、よくなったケースを紹介し合うことも必要です。
京都府に求められることは、?生活保護予算の削減には、国にしっかり意見を言い、制度を守り充実させることを主張すること、?今の政府のもとでも、医療・介護などの府独自負担を充実すること、?職員の数を増やすこと、?ワンストップサービスの充実―などがありますが、まず医療と介護だけでもできないかと思います。
現在取り組んでいる「みんなのいのち守る署名」を成功させ、医療・介護・社会保障政策の充実を府に求めましょう。
京都自治労連 第1912号(2018年1月20日発行)より
みんなの力で集めよう3000万人署名
安倍政権が、今年の通常国会での「改憲」発議の動きを強めています。
今年最初の「9の日宣伝」の9日、京都自治労連は、阪急西院駅前で昼休み街頭宣伝署名行動を行いました。
ハンドマイクで、改憲の危険性や国民が改憲を望んでいない世論調査の結果などを伝え、「3000万人署名」を呼びかけると、次々と協力もありました。改憲の動きが強まる中で、「何かしなければ」と住民の変化を感じる行動となりました。さらに3000万人署名を集めるため、頑張りましょう。
京都自治労連 第1912号(2018年1月20日発行)より
京都自治労連 第197回 中央委員会&組織集会
日時 2018年2月10日(土) AM10:00〜
会場 ラボール京都
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
全労連が呼びかける初級教育制度「わくわく講座」や労働学校が各地で取り組まれています。この間、京都府内でも乙訓、丹後、宇城久、そして亀岡で行われてきました。
昨年6月から11月に取り組まれた亀岡地労協主催の「わくわく講座」に、亀岡市職から4人の仲間が参加しました。ドキドキした気持ちも、回を重ねるごとに「知ることって面白い」とワクワクした気持ちに。半年間にわたる講座を無事に修了した4人にお話を伺いました。
「学ぶ」「知る」ことの面白さに感激
「楽しかったよね」「知らないことの多さにびっくり」、今回わくわく講座に参加した市職メンバーの声です。「Aさんに誘ってもらったので」と参加したきっかけを話すBさん。「難しく考えず、みんなで行ってみない?と声をかけてくれたので気軽に行ってみよう、って」との言葉に周りもうなずきます。
講座は6月からスタートし、11月まで月1回行われ、府職労や民間保育士など様々な職場の方が参加しました。振り返ってもらうと、「1回目の講座は分かりやすかった」とAさん。「資本主義社会の話ですよね。面白かった」とBさんが続けます。「内部留保をはじめ、日本の社会構図、仕組みを分かりやすく教えてもらい、とても新鮮でした」。
「私は最後の講座での憲法の話です。憲法を守る責任、というところにハッとしました」とCさん。Dさんは「労働者の権利が知れたこと。休暇取得について、参加者同士で交流した時、取れる環境にないとの話が出て、根本から変えないとダメなんだと思いました」。
学校の授業みたいで楽しかった
講座は、参加者みんなでテキストを読み合わせていく形で進められました。「テキストがイラスト入りで分かりやすかった。自分が組合に入った時にこれがあったら良かったと思いました。すごく役に立っています」とCさん。執行委員会でもわくわく講座の内容が話題になったと言います。
「参加者みんなが初めてで、お互いに分からないことを聞き合うなど、参加しやすかったのも良かった」とBさんが話すと、「雰囲気がすごく良かったね」とみんなが声を揃えます。「前回の振り返りのレジュメを作ってもらったのも助かりました」とDさん。「メンバーも回を重ねるたびに顔見知りになってきて、学校の授業みたいで楽しかった」とわくわく講座での学びは、みんなにとって新鮮でした。
読み合わせ後の交流の時間では、自分たちの職場以外の状況を聞く機会にも。「具体的なことを聞いたのは初めてでした」と声を揃えます。Dさんは「民間の保育士さんに同年代の方が多かったのでもっと交流できていれば、と少し悔いが残っています。日常的に関わる機会がないので、もっとグイグイいって仲良くなっておけば良かった」と残念そう。
「1回だけでは分からない部分がまだある。もう少し深められたら面白いと思う」とのBさんの言葉に、「今回の機会を生かして引き続いて何か出来ないかな」とAさんが話を振ると、「保育内容の事だったら仲間づくりの点から組合員以外にも呼びかけられる」「民間保育士との交流も出来るよね」「継続してつながること、学ぶことが出来たらいいな」とみんな前向きです。
力あわせ、もっと仲間を増やしたい
「休憩時間の確保や人員増などを獲得してこれたのは労働組合があったからこそ。活動を続け、要求書をしっかり出すことが大切だと実感できました」とCさん。「声を上げ続けることで当局の姿勢も変わってきた」と力を込めます。
そして、「わくわく講座は刺激になりました。活動の幅を広げて組合員が増えたらいいな。去年は新採さんが4人加入してくれました。組合員が増えたら職場環境などもっと改善できると思う」とDさんの思いに、「うん、増やしたいね!」と気持ちは一つに。
「今年もみんなで力をあわせて一緒に頑張ろう」―――わくわく講座で得た力が、亀岡市職が踏み出す大きな一歩と元気につながっています。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
京丹波町にケーブルテレビ局が開局して今年で14年。ここに勤務するEさんは、開局前(旧瑞穂町)から携わり、「住民一人ひとりと皆をつなぐのが、ケーブルテレビの役割」と番組づくりに取り組んでいます。その視点は、京丹波町の友好町、福島県双葉町を震災直後から取材し続けるなど、広い視野に立ったものです。
住民一人ひとりと皆をつなぎ、元気を届ける京丹波町ケーブル局
Eさんは三和町生まれ。広い世界を夢見て、北海道大学理学部化学科に入学。もっともっと学びたいと大学院へ。しかしバブルが崩壊し、みるみる就職環境は悪化。友人の一人は、40社受けて内定は1社あるかないか、当時はこれが当たり前でした。
そんな時に、瑞穂町のケーブルテレビで嘱託職員を募集と聞き、応募、2003年1月に採用。翌年、職員採用試験を受け、正職員になりケーブル局で勤務しています。
手探りから出発うれしかった初授賞
瑞穂町のテレビ局は、2004年開局(2005年合併で京丹波町)。当時は、手探り状態で、週一本のニュース番組を作成していましたが、いろいろな人から「近所に素晴らしい人がいるから紹介してほしい」と声がかかるようになり、地域で頑張っている人に登場してもらう企画番組を作成。放送は、住民からも好評で、番組作りの手ごたえを感じたと振り返ります。
「農業で頑張っている方」を紹介する企画で、伏見甘長とうがらし農家の「孫が唐辛子を食べてくれない悩み」を解決する番組をつくりました。これが、全国有線テレビジョン協議会の審査員特別賞を受賞。「本当にうれしかった」とEさん。NHKに就職した大学の友人は、第一線でバリバリ活躍しており、?自分は何をやっているのだろう?と焦りがあったといいます。それから、Eさんたちは総務大臣賞など様々な賞を受賞します。
胸が締めつけられた被災地の現状
2011年3月、東日本大震災が起こります。京丹波町の友好町で福島第一原発のある双葉町は、全住民避難の事態になり、京丹波町は、住民挙げて支援に取り組みました。地元の高校生が作ったクッキーに「涙が出るほどうれしかった」とお礼の手紙が届きます。この話を聞いたEさんは、その人の話を聞きたくなり、双葉町の避難所の埼玉県加須市へ向かいました。
お礼の手紙を送ってくれたのは、働き盛りの男性。「おいしくて、お礼の気持ちを伝えたくて」と話し始めると、津波のこと、原発事故のこと、故郷を離れる時の気持ちなど、堰を切ったように話してくれました。「その表情と言葉に胸が締め付けられた」とEさんは振り返ります。さらにその方は原発関係で働かれていた方で、「こんなことになって」と複雑な想いを語ってくれました。最後には「前を向いて頑張る」「わしらのことを忘れないでほしい」と語ってくれ、心と心が繋がった、温かい気持ちになったといいます。この時の番組には、住民から反響もたくさん寄せられ、同協議会の優秀賞、京都広報賞の会長賞を受賞します。
伝えたいのは真実と住民の姿
Eさんは、それから福島へ25〜26回ほど足を運び、50以上の番組を放送してきました。
仮設住宅の自治会長さんに「現在の双葉町を見てほしい」と声をかけられ、震災から1年半後に無人の双葉町に入り取材しました。
双葉町の実像は?衝撃だった?とEさん。地震や津波で破壊された家々がそのまま放置され、人は誰もいない。背丈を越える草が生い茂り、家屋を飲み込もうとしている。思わず、京丹波町がこんなことになれば…と考えたといいます。
同時に、伝えることの難しさも感じています。「震災のしんどい話は聞きたくない」という声もありました。番組で伝えたいのは、真実と困難な中で頑張っている住民の姿や想いです。
住民に理解してもらうためにも、もっと勉強しようと震災や原子力関係、さらには社会学をはじめ、思想や哲学など、様々な本を読み、個人的に京都大学防災研究所で開催される学会や神戸の震災を伝える勉強会などに積極的に出席しています。しかし、「悩みは聞いてもらえるが、答えは出ない」とEさん。「いろんな対立構造があるなかで、第三の道があるのではないか。人の笑顔や頑張っている姿、うれしい気持ち、これを伝え続けることが問題の解決につながるのでは」とEさんの言葉に力が入ります。
2018年、町民に元気を届けるケーブル局の仲間の活躍が始まっています。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
宇治市は昨年3月、3校の給食を提供していた委託業者の倒産で新学期から給食が出せない状況になりました。教育委員会は、市直営校から調理員を送り、業者が決まるまでの間、給食を提供。今回取材した宇治市立槇島小学校給食調理員のFさんはその危機を救ったメンバーです。Fさんを中心に調理員の皆さんに仕事への誇りややりがいを伺いました。
子どもの「おいしい」の一言がうれしい
「ここでは、3回洗った食材を調理場に持ち込んで、切る前にもう一度洗います」とGさん。大きな3つのシンクを指差して調理の流れを説明してくれました。槇島小学校では5人で600食を毎日提供。持ち場も事前に打合せて交代でこなせるようにしています。
「中には食べるのが遅い子もいて、後から食器を持って調理場に来るのですが、『今日は全部食べられた。おいしかった』って言ってくれる。この一言がうれしい」と調理員のHさん。一通りの作業が終わると給食業務日誌、翌日の調理打合せ。給食委員会や直営校合同の会議・打合せなど事務仕事。同じく調理員のIさんは、先生、栄養士、調理員が一緒のテーブルで学校給食について議論する宇治市の給食委員会をはじめとした制度がすばらしいと話します。「直営校のいいところのひとつです」と。直営校合同の会議に参加しているJさんは「食材仕入れの選定では、大量調理ならではの食材選びがあり、現場の声を活かします。他校の先輩調理員のアドバイスは勉強になります」。
いつもと変わらず子どもたちに安心を
4月6日に教育委員会から応援依頼があり各校から調理員が集まりましたが、調理場をみて愕然としたとFさんが話します。「家庭用のサランラップや小物が散乱し、洗剤もどこのものかわからないもの。配水管のふたはないし…」。これでは安全な給食は提供できないと、掃除、洗浄をやり直し、洗剤や調理小物などは取替えました。「連日、遅くまでかかって設備・資材を整え何とか4月12日からの給食開始に間に合わせました」。軌道に乗れば直営校同士の連携で800食の給食が提供できます。「仲間の協力で給食を提供できた。子どもたちが『今までで一番おいしい給食だった』といってくれたのがうれしい」とFさん。直営校の調理員の高い技術と ?心意気”を感じるインタビューとなりました。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
2020年の東京オリンピック・パラリンピックまであと2年。今年は韓国・平昌で冬季オリンピックが開催されます。
現在、任期付職員として2020年東京五輪での誘致活動などに従事するとともに、人生の半分以上をレスリングとともに歩み、今は指導者として選手育成に励むKさん。勤務先の舞鶴市役所スポーツ振興課をたずねました。
レスリングから柔道、そしてレスリングへ
新潟県で生まれ育ったKさんがレスリングを始めたのは幼稚園から。レスリング選手だった父の影響を受け、「自然と競技を始めていた」と言います。しかし、小学3年で一度挫折。小学4年からは「父親の家系がもともと柔道一家だったこともあって」と柔道の道へ。小学4年・5年時に県大会2位、6年時には県大会で優勝しました。
中学校進学を控えたある時、柔道の先生から「柔道のセンス、伸びしろがないから辞めろ」と厳しい言葉を受けます。「え、俺チャンピオンやで」と思ったものの、後々聞くと、「どうやら親も先生も、僕にレスリングをやらせたかったみたいで(笑)。それならとことんやってやろう!」とレスリングを再開することを決め、兄と一緒にレスリング留学で埼玉県へ。そこではレスリングに打ち込める環境が整っていたことでメキメキと力をつけ、中学3年の全国中学校選手権で優勝、キャプテンを務めた高校3年のインターハイ団体戦では初優勝の原動力になりました。
大学時代は慢性的なケガに苦しみ、納得のいく結果は残せませんでしたが、対戦してきた相手にはリオ五輪銀メダルの太田忍選手や樋口黎選手など強豪がずらり。
レスリングがあって今の僕がある
舞鶴市は一昨年6月、東京五輪でのウズベキスタン共和国のホストタウンに登録。ウズベキスタン選手団の合宿誘致活動など、レスリングで培ってきた知識を生かして、日本レスリング協会と連携を取りながら日々の業務に励んでいるKさん。「もともとはレスリング指導をしてほしいと声をかけられ、選手育成を次のステップに考えていたので良い機会と思って舞鶴に来ました」。勤務後は、一日約2時間、舞鶴レスリングクラブで幼稚園児から高校生の指導にあたり、指導を受けている生徒たちは実際に結果も出てきています。
レスリングの魅力やオリンピックへの思いをたずねると、「自分の鍛えた心、技、体の真剣勝負。駆け引きも含めて練習の成果がストレートに結果に出る。それが面白さであって魅力」とKさん。
「選手にとって大きな目標はオリンピック優勝。そこをめざせる選手を育てて、世界に送り出したい。同時に子どもたちがレスリングを好きでいられる環境づくりも心がけたい。やっぱり楽しんで出来ることが何よりですから」と力強く語ってくれました。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
自分のテーマを自分の言葉で
与謝野町に就職して3年目――弱冠21歳のLさんは、「FMたんご」で週1回、ゴールデンタイムのレギュラー番組を持つ、?ラジオパーソナリティー?です。番組名は『みらい研究所』。毎回ひとつのキーワードを決めて、自由に相棒と話すトーク番組。これまで70本弱が放送されました。キーワードもさまざま。「『愛』について真面目に話したこともありました。恋愛や家族愛、郷土愛…」。若い彼にはちょっと照れくさそう。一番印象に残った放送は?と尋ねると「第1回目の放送ですね。天橋立で観光客何人にもインタビューして準備して…。大変でした」。
放送されるのは週1回ですが、翌週は再放送なので月2回分を、休日を使って収録します。事前に資料を用意して、キューシート(進行表)を作ってスタジオへ。収録には4〜5時間かかることもあるそうです。エコーや効果音、ミキシングなど、音響機器も自分で操作します。番組で流す曲選びも重要なひとつ。「最近相棒が選んでくる曲にクセがあって…。私がゲームやアニメの挿入歌などでバランスをとるんです」と難しそう…。公共に流れるものだから言葉にも注意が必要とのことで、好き勝手にしゃべるだけでは番組にならない。「枠の中で最大限自分たちの気持ちを発信したいです」と番組作りの難しさも話してくれました。
きっかけは相棒のひとこと
生まれも育ちも与謝野町のLさん。高校時代一緒に?つるんでいた?友人から、「おれらの番組持たないか」との一言に、「それ、おもしろそう!」と企画書を作って、飛び込みで「FMたんご」に持ち込みました。とんとん拍子に話が進み、第1回の放送へ。
それから3年。最初は3人でスタートしましたが今は2人。役場での仕事も忙しくなってきていて、友人(=相棒)は神戸の大学に進学しているため、準備や収録のスケジュール合わせも大変です。とはいえ、「自分世代の目線で、自分の言葉で、生まれ育ったこの場所(丹後半島全体)のことを発信したい」。この想いは今も変わっていません。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より
藤井聡太四段、「ひふみん」、昨年は空前の将棋ブームに。南山城村役場税財政課のMさんは、プロ棋士になるための養成機関である新進棋士奨励会に所属していた経歴を持っています。
組合の大会が『熱』呼び覚ます
小学生の頃、よく遊びに行っていた祖父の家で将棋と出会い、図書館で借りた『漫画で覚える将棋入門』がのめり込むきっかけに。小学3年から本格的に指し始め、「もっと強い人たちの将棋を吸収したい」とさらなる高みを求めて奨励会の門をたたきます。この時小学6年。将棋に明け暮れる日々の中、大学2年で「このままプロを目指すのか、社会人として働くのか」と人生の岐路に立ちます。悩んだ末、将棋の世界を断念。
民間企業に勤めた後、3年前に南山城村役場に就職。ある時、組合で将棋大会が行われている事を耳にします。「奨励会退会後は将棋の事は考えなかった」と大好きだった将棋から離れた生活を送っていたMさん、将棋への愛と情熱が一気に呼び覚まされました。昨年5月の京都自治労連将棋大会に職場の仲間3人で参加。チームは敗れましたが、将棋を指せる喜びで胸がいっぱいに。出場していた京都府庁の方々と知り合い、例会に誘われる間柄にも。「組合がもう一度、将棋を指すきっかけを作ってくれた。組合様様です(笑)」。
高みを目指して、将棋の楽しさ広めたい
「老若男女問わず、いつでもどこでも気軽に出来ます」と将棋の魅力を語るMさん。「相手がどう指すか、それにどう応えるか、『一手』に何通りも選択肢があって面白い」と続けます。
今後の抱負について、「常に高みを目指したい」と即答。「再開後の個人成績は府内大会での準優勝が最高です。優勝すれば全国大会に出場できるので、優勝して全国トップレベルの方々の強さを肌で感じたい」。加えて、高みを目指すと同時に「将棋の楽しさを広める活動にも積極的に取り組みたい」と力強く話してくれました。
京都自治労連 第1911号(2018年1月5日発行)より